プロテスト合格に見えた辰吉Jrの将来性
物心がつくと父の隣でサンドバックを叩いていた。小学生の頃から、父がシリモンコンを倒した、鋭いステップインからえぐりこむようにして打つ左のボディアッパーをまるで物真似でもしているかのように、そっくりの軌道で打てていた。今でも得意のパンチは? と聞かれると「左ボディ」と答える。筆者は、雑誌の連載で父の丈一郎を追いかけている頃、長男の寿希也、次男の寿以輝と4人でよく食事を共にした。千林の駅前にある、駄菓子屋兼、お好み焼き屋さんのような店で兄弟2人が、父に「何歳で日本チャンピオンになったの」「どうやったら強くなれるの」「世界チャンピオンになるまで何戦かかったの」と、質問攻めにしていたことをハッキリと覚えている。 「将来、ボクサーになって世界チャンピオンになる」 兄弟は揃ってそう言った。 あの頃、辰吉の愛車では三木道三の歌が流れていた。 辰吉は、2人の兄弟を比較して、「寿輝也は優しい。性格的に俺に近いのは寿以輝の方。だけど、ボクシングをしろなんて俺は言わないし、自分で決めること。親としての義務は、義務教育まで。そこから先は息子の人生。ただ、ボクサーをすると俺と常に比較される。幸せかもしれんが、不幸かもしれん。大きな宿命を背負ったな」と話していた。辰吉がまだ大阪帝拳に通っているころは、気になる点があれば、直接教えていた。 1年ほど前に寿以輝は、体重が84キロにもなった。 原因は、環境が変わって練習メニューが軽くなっていたこと。体重を落とすことがプロテスト受験の条件に課せられた。寿以輝は「食事を制限して数か月で」14キロを落としたという。その意志の強さは父譲りなのかもしれない。それはプロボクサーとして成功する条件である。 まだマスコミ慣れしていないのか、シャイなのか、(るみさん曰く、家ではよく喋るらしいが)、10代の頃からビッグマウスだった父に比べて、いらないことは話さない。 ――父と比較されるがどう思うか? 「別になんとも」 ――ボクサーとしてどんなところが凄いと? 「すべてだけど、パンチをよけたりするとこかな」 ――あなたにとって辰吉丈一郎はどんな存在か 「別に……お父さんだから」 ――将来の目標は? 「世界チャンピオン。WBCのベルトがいいかな」 ――どれくらいの時間で世界チャンピオンに? 「それはわからない」 吉井寛・会長は、「できればわけのわからない外国人選手でなく、ちゃんとした日本人選手とデビュー戦を来春にもそれなりの舞台で組みたい」という。ジムの場所も、この12月から辰吉が汗を流した昔の京橋のビルへと戻る。 メディアの中には、映画監督の阪本順治(56歳)さんの姿があった。1995年に辰吉を主人公にドラマ仕立てにした「BOXER JOE」を撮って以来、第二作のドキュメント映画の撮影を続けていて、この日も、クルーが映像を回していた。 「僕が撮りはじめたときに、まだ寿以輝君は生まれていなかった。あれから20年の年月が流れて今、父と子の縁を思うと、感慨深いものがある」 坂本監督は、そう言った。 父の辰吉も、まだ現役を続けて、日々、ジム通いを続けている。 「俺は日本では非国民やから」 JBCの年齢制限にひっかかってライセンスを持たない辰吉は、そうブラックジョークをかましたが、その遺伝子を受け継ぐ、もう一人のライバルボクサーが誕生した。ロマンに溢れる辰吉ドラマの第二章が始まった気がする。 (文責・本郷陽一/論スポ、アスリートジャーナル)