【村井理子×ジェーン・スー】「親の顔以外の父母のことがわからない」近くて遠い家族との過去、現在、未来
がんの家族を看取るということ
スー 私たち、若いころに親をがんで看取っていますよね。私は24歳のときに母を、村井さんは19歳でお父さまを。 村井 スーさんの御著書の、手術後のお母さまの描写、読んでいて父のことを思い出しました。父も内臓のがんで、進行が速くて。当時はがん治療というと、バッサリ切って、中身を根こそぎ取ってしまうような治療でしたよね。そんなに取ったら、体の中が空っぽになっちゃうんじゃないかと思ったのを覚えてます。 スー 何から何まで取っちゃって、そりゃ、生きられないわって。正直、がんで死んだのか、あれで死んだのかわからないって思う。 村井 スーさんのお母さまが手術を終えて一時退院されているとき、体を起こしているのもつらいのに、友人が長居してなかなか帰らなかった話、あれもよくわかります。 スー さっさと帰れ! ってずっと思ってた。 村井 私も同じようなこと、ありました。 スー 当時のことを思い出すと、どれも「つらい」と「怒り」がセットになってます。あのときウチは、父と母が同時期に倒れたんです。母のほうが深刻だったので私が付き添い、父の看護は親戚に助けてもらいました。あと、悔しいけれど父の女性たちにも。私は主に母に付き添ってはいましたが、まだ若かったのでうまくできなくて。ふとした瞬間に母のつらそうな顔を見てしまって、そのときの表情が今でもときどき浮かんでくるんです。 村井 当時は、今とは病院の体制も全く違って、家族がずっと横に付いて世話しましたよね。朝、病院に行って昼までいて、午後、ちょっと休憩して夕方また行く感じ。ずっと一緒にいるから、嫌な部分も見えてしまう。突然、何かを思い出したように怒り出したりね。 スー そして、急に何か言い出す。あれはどうしたとか、これ買ってきてとか。 村井 一度、病室で父に付き添っていたら、父が急に怖い顔して「俺の病気は何なんだ?」と言い出したことがあったんです。「言わなきゃ、今すぐ俺はここから飛び降りるぞ!」って。私は、一世一代の大ウソついて、そしたら父はホッとした表情になって「もう帰れ」と。逃げるように走って帰りました。 スー 当時はまだ、がんは死ぬ病でしたから、本人への告知があまりされなかったんですよね。あの日々はほんとつらかったです。やっぱり「つらい」と「怒り」がセットだった……。 村井 すごくわかります。2カ月ほどの闘病だったのに、3年ぐらいに感じました。終わったときは悲しいより先に、ホッとした覚えがあります。でも、がんの人を介護した後の痛みは、何十年も残りますね。 スー そう、引きずります。これは何だろうと考えると、後悔なのかな……って。今ならできることがあるのに、という後悔。医療の進歩もそうだし、介護者としての私自身の能力も。 村井 私、10年以上、悪夢を見続けました。 スー 私、いまだに見ます。あのときできることは100%やったつもりだけど、失敗したことばかり思い出すんですよ。あのとき私、なんで母にあんなこと言っちゃったかなぁ……とか。こういう後悔をしたくないから、いま、父と関わっているのかもしれません。