【村井理子×ジェーン・スー】「親の顔以外の父母のことがわからない」近くて遠い家族との過去、現在、未来
「実母と義母」刊行記念
『兄の終い』『全員悪人』『家族』などで、家族関係のままならなさを描き続ける翻訳家でエッセイストの村井理子さん。癌で亡くなった実母と、今現在認知症が進行中の義母、「ふたりの母」に焦点を当てたエッセイ、『実母と義母』が話題を集めている。この刊行を記念して、著者の村井さんと、作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティとして幅広く活躍するジェーン・スーさんの対談が実現。ともに70年代生まれで「書くこと」を生業とする者同士、近くて遠い複雑な家族への思いや、共通の趣味である格闘技に惹かれる理由などを語った。 【画像】村井理子さん、ジェーン・スーさんがともに格闘技好きなのは偶然ではなかった!? その理由とは?
自己肯定感が高めなワケ
村井理子(以下、村井) はじめまして。お会いできるのを楽しみにしていました。 ジェーン・スー(以下、スー) 私も。こうしてお会いするのは初めてですが、御著書はもちろん、ずっとツイッターをフォローさせていただいてますし、「はじめまして」な感じがしないですね。 村井 リツイートし合ううちに、最近、お互い、格闘技好きということもわかったりして(笑)。 スー 新刊『実母と義母』も、とても面白かったです。読みながら、昭和ってつくづく女性が生きていくのが難しい時代だったんだと感じました。封建制度をそのまま引きずってるような空気が残っていて、男は怒鳴るし、威張ってる。女は何かを諦めさせられたり、家に押し込められたり。結婚したら家のことは全部やって当たり前で……。もちろん家によって違ったとは思うけど、女が200%頑張らないと家族が回らない、女はそういうものだ、という空気があったんじゃないかって。 村井 ウチも、母が馬車馬のように一人で働いてましたよ。夫婦でお店をやっていたのだけど、父は働かずにゴルフばかりしてた。なのに、家に帰ってくると威張ってましたね。 スー 私たちのひとつ上の世代は、まだそれが当たり前だったんでしょうね。いま、50代前後の私たち女性は、親世代のそういう姿も見てきたし、そう教育されてきた名残りもありつつ、一方で、それは不当な扱いだったんだということに気づいて、フツフツと怒りが湧いてもいる。複雑な世代だと思います。 村井 たしかに、母も義母も、結婚で自由を奪われてました。義母は結婚したことでそれまで大事にしてきた生き方を諦めましたし、そうすることが当然とも思っていた。だから私みたいなのが許せなくて、何としても私を変えようとしたんでしょうね。 スー 私の母は、私が24歳のときに亡くなったので、「母」という鎧を剥いだときどういう人だったのか、結局わからないままで、今となってはそれが残念で仕方ない。映画雑誌の編集者をしていて、気性もそこそこ激しかったし、自己主張もする人だったと記憶しています。若いころ、父が転がり込むように母のところにやってきて二人は結婚したらしいです。私、母のことは大好きだったけど、なぜ父と離婚しなかったんだろう、といまだに思う。さっさと別れて自分の人生を進めばよかったのにって。私は母親が選ばなかった人生を後追いでやっているのかもしれません。 村井 ウチは、両親が静岡の田舎町でジャズ喫茶を営んでいました。父は気難しくて激しい人。母はつかみどころがなくて、亡くなった今でもよくわからない人です。ウチは兄を中心に家が回っていて、両親は常に問題を起こす兄を何とかしようと右往左往してました。父はいつも兄を怒鳴り、そんな兄を母はどこまでも甘やかして。私は家族の中で、いつも少し遠くに置かれていたような気がします。逆に言えば、怒鳴られたことも、叩かれたこともない。放っておいてくれたし、いつも「理子は大丈夫。理子はかわいい」と言われて育ちました。4人家族でしたが、今は、私以外は皆、亡くなってしまいました。 スー 私は一人っ子です。私も幼いころ、両親からは「かわいい、かわいい」と言われ続けました。大きくなって、外に出てビックリ! 私、そうでもないじゃん、みたいな(笑)。でも、そんなふうに育ったので、自己肯定感はかなり高め。 村井 私も幼いころ、両親から自己肯定感を損なわれるようなことを言われた記憶が全くない。そのことだけはありがたかったな、と思います。 スー そこ、大人になると大きいですよね。 村井 たしかに大きい。私もスーさんと同じで、そもそもの自己肯定感がかなり高めだから、義母に何を言われても、何をされても、平気だったとは言わないけど、自分が崩れることはなかったんじゃないかと思っています。