コラム10周年「これからも」 福島出身のミュージシャン・井上裕治さん
福島県福島市出身のミュージシャン・井上裕治さんによるコラム「音楽人・井上裕治の自由に書いていいんですよね!」。2014年4月に福島民友新聞エンタメ面でスタートし、現在は別冊「Touch」に隔週で連載、10周年を迎えた。プライベートでは昨年の春から約1年間家族で米国暮らしを経験した。帰国間もない井上さんに、執筆にまつわるエピソードや米国での思い出を聞いた。
コラムの連載を書くのは初めてだったという井上さん。「自由に書いていいんですよね」というタイトルは、幅広いテーマで書けるようにと自身で提案した。タイトルどおり、音楽に関することから自身の趣味、日常のふとした疑問など、扱う題材はさまざま。「テーマが決まれば書くのは早いが、決まるまでが大変。机の前でずっと悩んでいることもあります」 自らを「記録魔」だという井上さん。例えば、最近では引っ越し前後の部屋の様子を細かく撮影したそう。コラムのネタは、そんな撮りためた膨大な画像データの中から見つけることが多いという。
米国で子育て、貴重な経験
家族の仕事の都合で、昨年5月から米国に在住し、4月に帰国。西海岸のカリフォルニア州、サンフランシスコから車で20~30分の場所に住んでいた。「一番の魅力は気候」と話すその場所は、日本の5月初旬のような湿度が低く爽やかな気候が約半年続くという。「この環境を離れて梅雨を控えた日本に戻ることだけはちょっと憂鬱(ゆううつ)でした」。 約1年だが異国の地で子育てができたことは貴重な経験だったという。3歳の子どもは保育園に通い始めてから1カ月ほどで、きれいな発音で英語を話すようになった。滞在中は"本場"のハロウィーンやクリスマスを体験し、楽しい思い出もたくさんできたようで、帰国後、「アメリカに戻りたい」と子どもが泣いたこともあったそう。
米国で暮らす中で驚いたことは、「年齢を聞かれない、年齢なんて関係ないこと」。年齢だけでなく職業や出身地など、所属や経歴にとらわれず、今ここにいる一人の人間として扱われるという。「日本に住んでいると、四十数年間積み上げてきた『井上裕治』が常につきまとう。それがなくなったのが面白かった」。今までの自分がリセットされる身軽さを感じたようだ。 しかし、コミュニケーションは英語でしなければいけない。「生まれも人種もさまざまだから、考え方が違うのは当たり前。日本人特有の『言わなくても分かる』は、ここでは通用しない。何か言わなければ、意思表示しなければ伝わらない」。英語を話すことへの照れや恥ずかしさはすぐになくなった。 「最初のうちは、アーとかオッケーとか、イエス、ノーぐらいしか言えなかった。そこから、『本当に?』『信じられない』『僕も行ってみたい』など、日常会話に必要な相づちや感情を表現するフレーズを覚えた」。日本の学校では習わないが日常会話では使用頻度が高い"教科書に載っていない"言葉や言い回しもたくさんあったという。 今後のコラムでは、海外からの引っ越しの大変さなどを報告したいとか。「コラムは自分にとってアウトプットする場所。その時の行動や気持ちを振り返るきっかけにもなるので、これからも続けたい」 次回のコラムは20日発行の別冊「Touch」に掲載予定。
福島民友新聞