本郷和人 小山評定「掛川城も兵糧も献上します!」で家康の歓心を買った山内一豊。関ヶ原後に与えられた土佐9.8万石は<大抜擢>と言えたのか
松本潤さん演じる徳川家康がいかにして天下統一を成し遂げたのか、古沢良太さんの脚本で描くNHK大河ドラマ『どうする家康』(総合、日曜午後8時ほか)。第42回「天下分け目」で石田三成(中村七之助さん)挙兵の知らせを受け取った家康。西国大名の多くが三成につくが、阿茶(松本若菜さん)の書状を通じて徳川の味方となる者がいることも分かり――といった話が展開しました。一方、歴史研究者で東大史料編纂所教授・本郷和人先生が気になるあのシーンをプレイバック、解説するのが本連載。今回は「山内一豊」について。この連載を読めばドラマがさらに楽しくなること間違いなし! 側室で才女の「阿茶の局」。家康が別の側室に「茶阿の局」と似た名を付けていた理由とは… * * * * * * * ◆“ワイルド”山内一豊登場 先日の大河では「小山評定」が描かれました。 一般的に小山評定とは、上杉景勝征伐のために会津に向かっていた途上で石田三成挙兵を知った家康が、諸将を招集して開いた「このまま上杉を討つか、西上して石田を討つか」を質した軍議を指します。 ドラマでは山丸親也さん演じる山内一豊が、「この一豊、内府殿とともに戦いまする!」と気炎をあげる様子が描かれました。 一豊は、2006年の大河「功名が辻」の主人公でしたが、ワイルドな印象がそのときのものとずいぶん違う、などとネット上では注目が集まっていました。 それでは今回は、その一豊にまつわる話を。
◆やまうち?やまのうち? 先ず、読み方。江戸時代後半、幕府は諸大名や旗本たちの家譜を『寛政重修諸家譜』として作成しました。 このとき土佐藩が提出した内容によれば、わが家はムカデ退治で有名な藤原秀郷の子孫、山内首藤氏の末裔である、とのこと。同氏は源氏第一の郎党で、そもそも鎌倉は「山内庄」の一部でした。 この話が本当なら、地名からして「山内」は「やまのうち」。でも、たぶんこれは信用できない。土佐の山内家を山内首藤氏の末裔であると証明する資料はないと思います。すると「山内」は「やまうち」と読むのが自然です。
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