「世襲の職業は…」上皇陛下が青春時代に漏らした皇位継承への「本音のひと言」
● ポマードを付けた皇太子の髪 同級生たちがこぞって真似た 高等科に進学したときの皇太子の身長は161センチ、体重は48キロ。戦中戦後の栄養不足から、当時の同年代男子の平均身長は152、3センチほどしかなく、皇太子はかなり高い方だ。 最初の登校日、皇太子の姿を見て学友たちがざわめいた。 「チャブが七三に分けているらしい」。 皇太子は中等科時代のイガグリ頭から髪を伸ばしていた。丸刈りは軍隊の慣習であり、大きな力に対する服従の証しだった。頭髪に関して自由を得た皇太子は、ポマードをあてた髪を学友らに見せて得意満面だった。 「コテを当ててね。毛を倒すのが大変なんだ」と話す皇太子は大人びて見えた。同級生たちはこぞって真似をして、1学期が終わるころにはクラスのほとんどが髪を伸ばしていた(*2)。バイニングはぷんぷん匂うポマードで教室が息苦しかったと述懐している。 高等科では中等科からの進学組のほか、他の学校から受験で入学した「新顔」が2、30人加わった。1年生は3組で110人になった。明仁皇太子はA組で、3年間同じだった。担任は渡辺末吾。諸橋徹次と久松潜一が高等科でも引き続き授業を行った。 週2日の個人授業は倫理(小泉信三)、数学(杉村欣次郎)、国語(久松)、西洋史(山中謙二)、日本史(家永三郎)、自然科学(小谷正雄、坪井忠二)、英語(バイニング、ブライス)、フランス語(前田陽一)、音楽(小松耕輔)、美術史(矢崎美盛、田沢坦)、和歌(五島茂)、弓道(大内義一)だった(*3)。 大内の弓の指導は初等科4年生からで、日光に疎開中も続けていた。裕仁天皇が青少年時代に猫背の矯正で苦労したこともあり、弓道の練習は姿勢矯正の狙いがあった。おかげで姿勢はかなり良くなったようだが、青年期になっても猫背の傾向は残り、侍従や教育参与から再三注意されていた。 明仁皇太子は月曜に光華殿、火曜は学習院で個人授業を行い、水曜から金曜まで他の学生とともに通常の授業を受けた。水曜の放課後は2、3人の学友とバイニング邸を訪れ、くつろいだ雰囲気で英会話の練習をした。木曜はブライスの個人授業だった。 ● 世襲の職業はいやなものだね 天皇になるしかないことを嘆く 高等科での最初の授業でバイニングは英語の学力を試験するため、口頭で「何に興味を持っているか。将来何になりたいか」を質問し、答えを書かせた。皇太子の好きなスポーツは水泳から乗馬に変わっていた。 *2 『知られざる天皇明仁』76~77頁 *3 『天皇への道』281~282頁