東海林のり子と振り返る平成【前編】ワイドショーが現場にいた時代 “宮崎勤の山林”から
もうちょっと、おおらかになったほうが良いのかな
いまはフリップで事件のあらましが説明され、番組が用意したコメンテーターが意見を述べて、それをもとにネットで議論が起きる。 「以前は当たり障りのないことを言うのがコメンテーターだったの。ちょっと人が良さそうに見えて、いろんなことを知っているとかね。最近は、ちょっとざわつくコメンテーター、観ている人の気持ちを煽るようなコメンテーターが求められている。そういう時代なのかもしれませんね。番組側もコメンテーターに頼っていますよね。司会者が言えないところを、強烈なコメンテーターが言ってくれる。それでネットが炎上しても、それがまた視聴率につながるかもしれない」 コメンテーターにつられてネットで起きる議論も不毛な場合が少なくないのでは、という。 「自分の思っていることだけを伝える、みたいな流れになっていますね。周りの広い範囲を見ずに、自分の中だけで判断してるんじゃないのかなって。ネットは海外の話題も素早く取り入れることができるし、情報の世界は本当は広くなっているのに、自分自身はものすごく狭いところにいるんじゃないですか。もうちょっと、おおらかになったほうが良いのかなっていう気はしますね」 現場一番で仕事をしてきた東海林だが、リポーターに一区切りをつけて現場から離れる決心をしたきっかけは、平成7(1995)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災だったという。 「伝えているけれど、伝わっていない。そう感じたんです」 被災地で痛感した“伝えることの限界”とは? 【後編は5月1日配信予定】 (取材・文・撮影:志和浩司)