東海林のり子と振り返る平成【前編】ワイドショーが現場にいた時代 “宮崎勤の山林”から
「女の子を連れている、300万持って来い」便乗犯が登場
常に現場取材を重ねていると、取材する側も事件に巻き込まれることがあるという。 「行方不明になった女の子を連れているから取材に来い、というニセの犯人からの電話がテレビ局に入ったんです。私と話したい、と言っているらしいんですね。それで、警視庁の捜査1課の刑事が5人来て、『あとはこちらで女性の刑事が対応するので東海林さんはもういいです』と。でも、相手は私を指名してきたのに、もし声が違っていたらまずいでしょう。だから私がやりますと言ったんです。そこへ電話がかかってきて『兄貴が借金していて困っている。金をくれたら女の子は返す』と。それで4時間ぐらい電話のやりとりをしたんですけど、『東京駅に300万円持って来い』と。思わず『そんなお金ありません』と答えたら、刑事が“持って行くと言って”と紙に書いて見せるの。それで、持って行きますって答えてね」 結果的に、会話を長引かせて逆探知に成功した。 「夕方にまた電話が入ったとき、電話の向こうから『ギャッ』っていう声がしたのね。で、刑事が『あっ、終りました。捕まえました』って。電話している間に捕まったの、その人。しばらくして弁護士がテレビ局にきて、『東海林さん、お金で解決してもらえませんか』と示談を持ちかけてきたときに私、断ったんですよ。みんなが心配している誘拐事件に便乗してお金を取るような男は許せないから、刑務所に入って少し心を改めたほうが良いですって。後日、刑務所から手紙が来て、『私にも子どもがいます。許してください』みたいなことが書いてあったんです。刑期を終えたらその人がお礼参りに来るんじゃないかって、周りが心配してくれたんですけど、結局来なかったですけどね」
現場へ行かない番組には納得いかない
そんなこともありましたね、と懐かしそうに振り返る東海林だが、そうした便乗事件に巻き込まれたのも、当時のワイドショーが積極的に現場取材を重ねていたからだろう。 「いまは現場に行かなくなって、なんでもフリップで紹介するじゃないですか。私は現場第一だと思っているので、納得がいかないんですよ。現場に行って映し出すことで、こんな薄暗いところで女の子が……って、気持ちが入りますよね。ところがだんだん、平成も後半になってくると、とりあえず現場を映すよりもフリップで紹介したほうが手っ取り早いとなってきて。そうすると、実際に起きた大変な事件でも、何となく紙芝居を見ているようになって行く。私がラジオをやっていた頃、テレビが出てきたときには『あんなものは電気紙芝居だ。ラジオは絶対勝てる』と思った人もいたんだけど、だんだんテレビが発達してテレビの時代になっちゃった。それがまた、現場に行かなくなった、現場を映さなくなったことで、ちょっと時代に逆行しちゃうのかな? っていう感じはしますね」 リポーターが現場に行かなくなった背景には、制作費の問題があるという。 「昭和の終わりから平成の最初にかけては、地方でも海外でもどこ行ってもいいよ、っていう時代だったんですよ。それがだんだん切り詰められて、カメラクルーは現地で探すとか、そのうちには現場に行かなくてもいいんじゃない?みたいな。いまはネットで、素人が撮った動画をテレビ局が借りたりする。それはそれで良い面もありますが、昔は警察に現場の住所を聞きに行くんだけど副署長が意地悪でなかなか教えてくれなかったり。取材力がついたんですね。いまもネットで簡単に片付けるのではなくて、もうちょっと手の届くところで取材したほうがいいんじゃないのって思いますね。そういう意味では、今のリポーターたちはずいぶんと暇していると思いますよ、なかなか飛び出していけないし」