61年前の阪神Vパレードには約50万人のファンが集結!『当時7歳で1号車に乗った少年』に聞く思い出…そして震災後の1996年に行われたオリックスVパレードでは選手の肩に『がんばろうKOBE』過去の阪神&オリのパレードを振り返る
阪神とオリックスの優勝パレードがいよいよ11月23日に大阪と兵庫でそれぞれ行われます。それを前に過去の優勝パレードを振り返ります。 【写真を見る】星野監督率いる阪神が2003年にリーグ優勝…当時の優勝パレードには約40万人が大阪の街に集まった
阪神が初めて優勝パレードを行ったのは1962年(昭和37年)のこと。この時は甲子園を出発して尼崎市や神戸市などを巡りました。当時の新聞によりますと、沿道には約50万人の阪神ファンが詰めかけ、予定より約2時間長い5時間ほどの時間をかけて行われたということです。 その時に先頭のオープンカーに乗っていた少年がいます。 (藤本義人さん)「この写真に載っているのが昭和37年、小学校1年の私です」 神戸市東灘区に住む藤本義人さん(68)。なぜ藤本さんがパレードに参加したかというと、おじいさんが実は1962年に阪神を初めてのリーグ優勝に導いた藤本定義監督なのです。当時7歳だった藤本さん。おじいさんと同じ背番号61のユニホームを着込み、先頭のオープンカーに乗って沿道に手を振りました。藤本さんの思い出は… (藤本義人さん)「『おい!乗るか』って多分言われて、なんのことかようわからんと『うん、乗る』みたいな。甲子園球場から出発して人が多かったというのと、当時こんな感じでしたからね、車の横に人がいっぱいだったんです。みんな向こうも手がグワーっとなっているから、こっちも手を振っていたような気はします」 阪神初の優勝パレードから61年もの時が経ちました。 (藤本義人さん)「今の時代考えられないことですよね。それも1号車ですからね。(Q今回の優勝を祖父・藤本監督はどう思っていそう?)長かったんじゃないですかね。何回か優勝していますけど、日本一にはなっていないので」
一方のオリックスは1996年の日本シリーズで巨人との戦いを制して19年ぶりの日本一に。この時にチームが抱えていたある思いがありました。イチロー選手の右腕に書かれた『がんばろうKOBE』。前の年に起こった阪神・淡路大震災です。『がんばろうKOBE』を合言葉に被災地の心の支えとなっていました。 (神戸の街の人)「よかった、本当に神戸のために頑張ってくれた。私たち阪神ファンだったけど、オリックスで頑張ろう、これから。わかるでしょ?この状態でしょ」 この時の日本一の優勝記念パレードは神戸で行われ、沿道にはファンら約18万人が詰めかけました。パレードには仰木彬監督をはじめ、イチロー選手なども参加して、花飾りをつけた車など6台に分乗して約3kmを行進。ファンはお目当ての選手がくるたびに歓声をあげたり握手攻めに。パレードの時間はわずか40分ほどでしたが、震災後の神戸に明るい話題となりました。 2003年には星野監督率いる阪神がリーグ優勝。パレード当日の御堂筋には薄明かりの時間からすでに多くのファンが集まっていました。 (ファン)「4時起きです。和歌山から来ました」 (ファン)「きょうは星野監督さんに会えますもんね、選手の方とね。すごく楽しみです」 実はこの時も大阪府と大阪市の職員はボランティアで参加していました。 (大阪市の職員)「出勤ということではないので。みんなボランティアということで自主的に参加しています。いただけるのはこの記念のジャンパーということで」