女子バレーのユース日本代表で石川真佑らと戦った野中瑠衣 夢のA代表入りに「え、私でいいの?」
【アンダーカテゴリーの代表で石川真佑らとプレー】 ――中学からユース女子日本代表(U-18)入りを果たし、国際大会も経験しています。 「アジアユース女子選手権大会は中国、(高校1年生時の)世界ユースはアルゼンチンでの開催でしたね。特にアルゼンチンは、現地に着くまでが長くて......。それに当時は、実家を離れる機会がなかったので、世界ユースでは何日かホームシックになっていました(笑)」 ――当時のアンダーエイジカテゴリー日本代表には、石川真佑選手や山田二千華選手、中川つかさ選手ら、のちにA代表に入る選手が揃っていました。 「個性的な選手の集まりでした。候補合宿の時点で、全国の名だたる高校からメンバーが集まっていたので、私自身は孤独感といいますか、引け目を感じていました。ですが、最終メンバーに選ばれたことで、『少しは認められたのかな。仲間に入ることができたんだ』って。上手な選手たちと一緒にプレーできることが、何よりも刺激になりました」 ――その上のカテゴリーであるジュニア日本代表(U-19、U-20)では、メンバー外で悔しい思いをされたと思います。 「もちろん悔しい気持ちでいっぱいでしたが、わりと冷静に受け止めていました。その時点の実力でいえば、私以外のメンバーのほうが世界で結果を残せることがわかっていましたから。一方で、『その選手たちに負けないぞ』という気持ちも湧き上がってきました。もし選ばれていたら、『今の力で大丈夫なんだ』と思ってしまっていたかもしれません」 ――ジュニア日本代表の落選で、目標がブレることはなかったですか? 「日本代表になる、という思いは変わりませんでしたね。仲のいい同級生たちが選ばれていましたが、『自分は、自分』と胸に思いを秘めて励んでいました」
【日本代表に選ばれて「え、私でいいんですか?」】 ――そして昨年夏、シニアの日本代表に呼ばれました。 「(日立Astemoの東京の練習拠点である)味の素ナショナルトレーニングセンターでバレーをするのが久しぶりでした。初めは、アジア選手権に向けた選考合宿のようなものがあって。代表に呼ばれた時は私自身が驚きましたが、すでに代表メンバーに登録されている選手もいたので、『とにかく頑張ろう』と思いました。 後日、日立Astemoの会議室に(長内)美和子さんと(オクム大庭冬美)ハウィさんと一緒に呼ばれて、中谷宏大監督から代表メンバーに選ばれたことを告げられました。ふたりはすでに(シニア代表での)経験もあったし、『はい』とうなずいていましたけど、私は『え、私でいいんですか?』って(笑)。でも、ふたりとも『当たり前じゃん』『そりゃそうだよ』と微笑んでくれました。本当にありがたい機会なので、たくさんのことを勉強して、吸収しようと考えていました」 ――ずっと夢だった、シニアの日本代表メンバーに入った時の気持ちは? 「アンダーエイジカテゴリーと違って、着用するユニフォームがシニアの、いわゆるA代表のデザイン。『これを私が着るんだ』と不思議な感覚になりましたね」 ――そこで学べたことは? 「試合にも『二枚替え(セッターとその対角のアタッカーを同時に交代させる)』で出させていただきましたし、練習からでもさまざまなことを学べました。周りの選手やスタッフの方々も、少し練習しただけで私の癖を見抜いて、『こうしたほうがいい』とアドバイスをいただけた。そんなすごさを感じながら、とにかく私は思いきりやるだけでした」 ――シニアも経験されて、今はどのように感じていますか? 「近づいたからこそ、私に足りないことがたくさん見えました。これまではイメージしかできなかった、そのステージに立っている選手のすごさを実感できて、リーグで対戦している時もプレーが違って見えた。そこで、『まだ私はこんなにできていないんだ』って。 ですが、憧れていることに変わりはありません。たとえ笑われようが、無理だろうと思われたとしても、私にとって日本代表はこれからも目指す場所です」 (後編:野中瑠衣の高校時代は「反抗的だった」 それを変えた恩師の言葉とは?>>) 【プロフィール】野中瑠衣(のなか・るい) 2001年8月3日生まれ、秋田県出身。日立Astemoリヴァーレ所属。177cmのアウトサイドヒッター。秋田県立秋田北高から2020年に日立リヴァーレ(当時)に入団。秋田市立泉中3年時、秋田北高1年時にU-18日本代表に選出される。昨年度は追加登録で日本代表入りを果たし、第22回アジア女子選手権大会に出場した。
坂口功将●取材・文 text & photo by Sakaguchi Kosuke