戦場となったフィリピンの密林を逃避行、両親と弟2人失う「悲しかったけど進まないと」…玉音放送聞き投降
結婚し、3人の子どもに恵まれたが、戦後50年がたった頃、「子どもたちに伝えないといけない」と思うようになり、児童や生徒らに体験を伝えてきた。
体験を語ると、幼かった弟たちを思って涙があふれる。「平和のためには、まずきょうだい、家族が仲良くすること。隣の人、隣の国、世界中の人と仲良くなれば戦争にはならない」と伝えている。
[記者メモ]知られざる民間人の悲劇
フィリピンは1944年10月に初めて日本軍の航空特攻が行われ、過酷な戦場として知られる一方、民間人の悲劇は知られていない。「山の中をさまよい、弟を亡くすのも戦争なんです」と語る軈子さんに、胸が塞がる思いがした。長男の正義さん(66)も「母の体験を風化させたくない」と、語り部活動をサポートする。戦争の記憶が子へ孫へと語り継がれるよう祈りたい。(大石健一)