【バレー】元日本代表の入澤まいが東京スリジエに加入後初の公式戦 「自分にムカつく」と苦笑いも変わらぬバレー愛【皇后杯関東ブロックラウンド】
――現在はどんなサイクルで活動されていますか? (日立)Astemoでフルタイムで働いていて、週に4日間の練習のうち、平日と土日に1回ずつ、週に1、2回はバレーをしています。 どんどん動けなくなっていくことはわかっていましたが、そこは受け入れられない部分で。それが試合でなかなか高いところから打てないことにつながるんですけど…。そもそもあまりジャンプしていなかったのが、筋力が落ちてもっと跳べなくなっています。自分に対してすごくムカつくというか、すっきりしない部分はあります。 ただ、その道を選んだのは自分なので。徐々に受け入れて、その中での自分の出し方を見つけていかないといけません。 ――あらためて引退を決めた理由はいかがでしたか? 3年ぐらい前からパリオリンピックを区切りにすると決めていて、それは(日立Astemo)リヴァーレの副部長の角田(博文)さんにも話していました。オリンピックの前年(2023年)も代表に入って、よりパリに行きたい思いは強くなりましたが、そのあとのリーグ戦にあまり出られなくて。今年の日本代表にも入ることはできませんでした。 もともと区切りと決めていたので、そこで「ダメか」と受け止めて。そのあとに「次も」とはなれませんでした。「代表に行きたいと思わなければ、トップリーグでやる意味がない」という自分のなかの基準があって、引退することにしました。 ――昨年はパリ五輪予選にも出場しました。日本代表ではどんな思いでプレーしていましたか? 最初は登録メンバーに入ったときに、「え、入れたんですか?」ってびっくりして(笑) 久美さん(中田前監督)のときも登録メンバーには入っていたけど、1回目の選考で落ちていました。だから、眞鍋さん(政義監督)に代わったときも、また1回目の選考で無理かなと思っていたら、そこをクリアして。対世界で試合ができるかも、と思えた瞬間でした。そこから(メンバーに)残りたい、試合に出たい、代表としてユニフォームを着たいという思いが徐々に出てきて、代表活動をするなかで欲が出てきました。 パリオリンピックのメンバーは同級生もたくさんいたし、一緒にやっていた人しかいないので、純粋に「頑張れ」という気持ちで応援しました。 ――日本代表での経験は、今にどう生きていますか? いろんな世界を見られたことは強みだと思います。スリジエのなかでは経験値があるほうなので、私の引き出しをうまく言葉にして伝えていきたいです。でも、思っていることと言葉がうまくつながらなくて(笑) なかなか伝えられないのはもどかしいです。