浦和新監督を黒星発進させたのは元レッズ党のJ最小兵、柏・中川寛斗だった
自宅から約1時間半をかけて、柏市内の練習場へ通い続けた。U-15への昇格が近づいてきた6年生のときの身長は127cm。骨端線の残量を検査した結果、成人しても150cmくらいかもしれない、と医者から言われたこともある。アルゼンチン代表およびFCバルセロナのスーパースター、リオネル・メッシが子どものころに施された、ひざにホルモン注射を打つ治療法を紹介されたが、中川は自らの意思で拒否している。 「せっかく両親からもらった体ですし、その体で勝負することを考えていくなかで、人間としても成長できるはずだ、と思ったんです。両親に対しても『大丈夫、問題ない』と証明したかったし、将来のプロを目指す背の低い子どもたちにも夢を与えたいと思ったので」 U-15をへて昇格したU-18からの卒業が迫ってきた2012年秋には、予期せぬ難題に直面した。強化部はプロ契約を結びたかったが、トップチームを率いるネルシーニョ監督が頑なに拒み続けた。背が低いがゆえに身体能力も低いと、外国人監督のドライかつシビアな判断で構想外となった。 しかし、手放すにはあまりにも惜しい才能という理由で、トップチームに昇格させたうえで湘南ベルマーレへ期限付きで移籍した。厳しい指導を身上とする曹貴裁(チョウ・キジェ)監督のもと、身心をとことん鍛えられた2年間。シャビやイニエスタのプレー映像をお手本にしながらテクニックを磨き上げてきた中川を、湘南での日々が巧いだけでなく走れて、戦うこともできる選手へ変貌させた。 「背が低いからこういうプレーしかできないと、無意識のうちに限界を決めていた部分があった。そういう天井を、曹さんが強引に開放してくれた。サッカーを含めて、すべての面で僕をプロフェッショナルにしてくれた。サッカーに対する価値観のすべてを、180度変えられた2年間でした」 浦和戦における中川は総走行距離11.881km、スプリント回数36でともに柏で1位をマークしている。攻撃陣は選手層が厚く、なかなか出場機会が巡ってこない。それでも腐ることなく、いざチャンスを得れば155cmの体に凝縮された存在価値を、一挙手一投足とデータの両方でこれでもかと示す。 柏に復帰した2015シーズンからコツコツと積み上げられてきた軌跡のなかで、中川がゴールした公式戦で8戦全勝、90分間フル出場したリーグ戦では15試合連続無敗(13勝2分け)という「不敗神話」を現在進行形で紡いでいる。 そして今、少年時代に愛してやまなかったチームを自身のゴールで、しかも2年続けて1‐0の最少スコアで撃破した。高度なテクニックと無尽蔵のスタミナを同居させ、柏を輝かせる中川は「小さな巨人」に続いて 「浦和キラー」の異名を手に入れた。 (文責・藤江直人/スポーツライター)