ハマス幹部「長期消耗戦」を表明、4万2千人死亡もイスラエル奇襲に「後悔はない」 ガザ戦闘1年、譲歩拒否で停戦の実現見通せず
―イスラエル軍は親イラン民兵組織のヒズボラ掃討を掲げ、レバノン南部に地上侵攻した。 「ヒズボラやイランは、このガザの戦闘が始まる前からイスラエルにとって長年の脅威だった。ネタニヤフは千載一遇のチャンスと判断して、攻撃を始めたのだろう。ヒズボラはハマスへの連帯を表明し、(ガザ戦闘開始の直後から)イスラエルへの攻撃を始めた。イエメンの親イラン武装組織フーシ派も同様だ。ヒズボラやフーシ派の戦いは、ガザの戦闘とリンクしている。ガザの戦闘が解決しない限り、他の戦闘も解決しないだろう」 ▽国家樹立まで抵抗をやめることはない ―停滞するガザの停戦交渉はどうなるのか。 「われわれはこれまでの交渉で多くの譲歩をしてきた。交渉がヤマ場を迎えるたびにネタニヤフはガザで集団殺りくを実行したり、新たな条件を追加したりして交渉を妨害してきた。ネタニヤフが要求する軍駐留を認めてしまえば、それは降伏のようなものだ。もはや取引とは言えない。ネタニヤフに停戦の意思はない」 ―仮に停戦が実現した場合、ガザの戦後統治はどう考えているのか。
「(ヨルダン川西岸を統治している)パレスチナ自治政府やその他のパレスチナ組織を含めた統一パレスチナ政府の樹立を目指している。ただ、パレスチナ自治政府で主流派のファタハとの協議にはまだ障害がある。いかなる勢力であっても、ガザの戦後統治に外国が関わることは認めない。パレスチナ国家が樹立された暁には、ハマスの軍事部門はパレスチナ国家国防軍に吸収されるだろう。国家樹立を達成するまで、われわれが抵抗をやめることはない」 × × × ホサム・バドラン 1966年、ヨルダン川西岸生まれ。2000年代初頭の第2次インティファーダ(反イスラエル闘争)時に、軍事部門の西岸側幹部だったとされる。 バセム・ナイム 1963年、ガザ地区生まれ。医師。2007年、ハマス単独の自治政府内閣で保健相。