息子のためリングへ…日本初の“全盲のプロレスラー”がデビュー 39歳男性が10年越しの夢を叶えられた理由
大舘裕太さんは日本で初めての全盲のプロレスラーで2024年7月、名古屋でデビューしました。両目が全く見えない39歳の男性がリングに立つ理由は、息子への思いです。 【画像】大舘さんのデビュー戦
■音や熱で相手の位置を察知…全盲のプロレスラー 大舘裕太さん
大舘裕太(おおや・ゆうた 39)さんは、両目が全く見えない、全盲です。 この日、大舘さんが訪れたのは、名古屋市中区を拠点に活動するプロレス団体「スポルティーバ エンターテイメント」のリングです。ここまで地下鉄に乗って1人でやってきました。 1年前に入門し、プロレスラーを目指して毎日トレーニングを重ねてきました。全盲の大矢さんがプロレスの時に頼りにするのは、音や熱、そして感覚です。 大舘裕太さん: 音を頼りにするっていうのと、戦っている時って相手から熱が発生しているじゃないですか。そういうのを感じながら戦っている感じですね。 リングの広さを体で覚え、音の反響やステップで距離感をつかみ、体の熱で相手の位置を察知するといいます。 ケガをしないように取る「受け身」や、ロープを使って相手に向かうことはとても困難です。 それでもプロを目指す大舘さんについて、先輩レスラーも高く評価しています。 先輩レスラーの小仲=ペールワン選手: ものすごいガッツがある、真っすぐな選手です。(プロレスラーとしても)大舘さんの熱意だったら十分だと思いますね。
■元気をくれたプロレス…度重なる苦難に一度は離れたことも
大舘さんは1984年、広島県福山市で生まれました。 生後間もなく両目に小児がんが見つかり、右目を摘出。左目は放射線治療で、失明は免れました。 残った左目で生活できましたが、いじめられた経験から、強くなりたいと中学から柔道を始め、その後、テレビで見たプロレスに衝撃を受けました。 大舘裕太さん: 倒れても、倒れても、こぶしを握って立ってきて戦っている姿が印象的でしたね。見えないからいじめられて、ちょっと悔しい思いした時だとか、もう一回頑張ってみようっていう元気をもらえていたので。 憧れたのは1990年代、2000年代を代表するプロレスラー、小橋建太さん。 高校入学からプロレスジムに通い、プロレスラーとして、デビュー目前でした。しかし、大舘さんに、またしても壁が立ちふさがりました。 大舘裕太さん: 自転車に乗っていて、溝に落ちるようになったりとか、電信柱にぶつかるようになったんです。 見えていた左目が徐々に悪化し「全盲」に。大舘さんは、プロレスから離れました。 大舘裕太さん: 落ち込んで、ちょっと引きこもった時期もありましたね。大好きでやりたいのにできなくなったので、それこそ話も聞くたくないし。