<独占インタビュー>ロッテのドラフト1位 平沢の現在地
甲子園の申し子である。 昨年の夏の甲子園では決勝へ進み、中日にドラフト1位指名された小笠原慎之介の率いる東海大相模に6-10で敗れた。平沢は決勝でも2安打、大会を通じて3本のアーチを記録するなど大活躍をした。 甲子園があったからこそ、今があるのか? と聞くと、「甲子園が、今の僕へとつながっている感じはしません。その道のりで、色々と経験した。それが今につながっています」と否定した。 仙台育英の佐々木監督の教えは「野球は人間がやるもの。人間力があがらないと野球はうまくならない」というものだった。 「自分だけが、いい思いをしても、まわりがいい思いをしなければ意味がないぞ。自分が、自分が、ではダメなんだ。自分のことよりまわりを見て、自分がどうあるべきかを考えなさいと教えられました」 こっぴどく怒られたこともある 試合でヒットが出ず、落ち込み、バッティング練習でも気を抜いていた。そこを監督には見破られた。そして「平沢がチームに与える影響は大きいんだぞ!立場を自覚しなさい」と叱咤された。 「僕自身が、そういうことをわかっていなかったんです。プロになっても、人間力というものは持っていなければならないと思うんです。今の僕につながっているのは、甲子園ではなく、そういう経験だと思っています」 こういう教育をされてきたからこそ、平沢はぶれない。 プロを意識したのは高校2年の秋。平沢が2本のアーチを記録した明治神宮大会での優勝が契機だった。スポーツメディアに、プロ注目の大型内野手と書きたてられ、プロ野球の各スカウトのコメントも目にした。 「それまではプロにいければいいけど……くらいの思いでしたが、あの神宮大会で優勝して、すぐにプロへ行ってもヒケを取らない。プロに行こうと決めました」 ユニホーム姿を目に浮かべる球団はなかった。 「12球団、どこでもよかったんです。楽天のジュニアスクールに行っていました。新聞でも『楽天1位』の記事が出ていましたが、そんなにいきたいとは思ってもいませんでした。それでも、確か、直前に『ロッテも平沢』のような記事も見たのですが、『もうないっしょ。楽天でしょ』みたいな感じだったんです」 だが、蓋を開けてみれば、楽天とロッテが1位で競合。平沢はロッテに導かれ、平沢を外した楽天は、外れ1位で、甲子園、U-18の侍ジャパンで平沢と一緒に戦ったオコエを指名した。 そのオコエは、開幕1軍に選ばれ、平沢はオープン戦の中盤で脱落した。 1軍にいるオコエが羨ましくなかったのか?と聞くと、「羨ましいという気持ちはありませんでした」と、平沢は決して強がりな風でもなく、笑ってクビを振った。 平沢は、キャンプから注目を集め、巡ってくる評論家諸氏の平沢評が、上昇すればするほど、違和感を覚えていた。 「実力が伴っていないのがわかっていたので、複雑な気持ちでした。“評価だけ上げないでよお”という感じで。もちろん、開幕1軍は目指してはいましたが、周りのレベルとの違いは、わかってきました。バッティングも守備も1軍でやるには、確実性が足りなかったと思います。だから勘違いはしませんでした」 自分は自分、オコエはオコエ。 今はオコエも2軍に落ちて、立場は同じになったが、「オコエが開幕1軍として仕事を与えられただけで凄いと思います。それだけで期待されているのがわかるし頑張って欲しいです。彼も、日々成長でしょうし、その経験を活かして欲しいと思ってみています」と、“共闘のエール”を送った。