【“マルキの闇”裁判終結へ㊤】兵庫県警機動隊員連続自殺「息子は警察に殺された」記者が追った8年半
■兵庫県警トップ「もうあの事案を報じる必要はない」
「機動隊員2人の自殺は、パワハラやいじめによるものではなかった。いくら調査しても何も出てこない。もうあの事案を報じる必要はない」 報道各社への明らかな圧力だった。しかし、本部長の言葉に多くの記者が平然と頷いている。 私は強烈な違和感を感じた。記者クラブに所属して取材活動を行う以上、警察幹部との関係性はもちろん重要だが、報道機関は「権力の監視」という責任を背負っているはず。本当にこのまま報じなくてよいのだろうか…。葛藤を抱きながら私は懇談会の会場を後にした。その日以降、新聞やテレビで機動隊員の連続自殺が取り上げられることはなくなった。
■「息子は警察組織に殺された」
警察が調査を打ち切った以上、遺族や関係者への取材を通して、自力で2人の自殺の真相に近づく必要があった。 翌2016年1月、私は山本翔巡査(当時23)の実家を訪ねた。息子が亡くなって約4か月、憔悴しきった様子の母親が迎えてくれた。 遺影の山本巡査は、優しく穏やかな表情でほほ笑んでいる。幼い頃から正義感が強く、刑事になるのを夢見て警察官となった息子。母親が最後に対面したときは、「いっぱい泣いて泣いて、悩んで悩んで、最後は自分で腹をくくった表情だった」という。 母親は「兵庫県警の調査結果には、全く納得できない。息子は警察組織に殺された。その証拠がきちんとある」と言って、たくさんの資料が入ったファイルを私に手渡してくれた。 その中に、機動隊の先輩3人の名前が記された遺書があった。
■「嫌がらせやウソつき呼ばわりには精神的に限界」届かなかったSOS
山本翔巡査(当時23)の遺書 「これ以上、機動隊での勤務は耐えられない。先輩の嫌がらせや上司からのウソつき呼ばわりには精神的に限界です」 母親は、山本巡査の遺書を手で優しくなでながら「翔の思いがわずかな行に全部つづられている。ここに記した3人の名前には、翔の悔しさや苦しみ、無念さが全部入っている」と語った。 さらに、兵庫県警が遺族に開示した内部資料には、山本巡査が自殺当日、県警の職員向けの相談窓口に電話をかけ「機動隊内でパワハラにあっていて精神的につらい」と相談していたことが記録されていた。やり取りは20分以上におよび「時には横腹を殴られる」とも訴えていた。相談の最後には「機動隊から異動したい」と懇願するなど、山本巡査が警察組織の中で精神的に追い詰められていたことがうかがえる。 しかし、電話を受けた担当者は、緊急性はないと判断。山本巡査の「SOS」が組織内で共有されることはなかった。 その電話から数時間後、山本巡査は自ら命を絶った。 これでは遺族が納得するはずがない。母親は「生きている人たちの証言だけで判断されるのは悔しい。翔がいじめやパワハラを訴えていた記録がきちんと残されているのに…。警察の調査には疑問しか残らない」と涙を流した。