【月刊ラモス・最終回】Jリーグ発足、ドーハの悲劇、W杯での躍進…発展し続ける日本サッカーともに歩んだ8年、永遠の進化を心から願う
来年1月31日の東京中日スポーツ休刊にともない、「月刊ラモス」も今回が最終回となる。2017年4月29日の”創刊”以来8年、Jリーグ、日本代表、W杯などサッカー界に対する熱い思いを口にしてきたラモス瑠偉編集長。最終回でもこれまで同様、日本サッカーの明るい未来に向けて熱い提言を行い、その発展を心の底から願っていた。ラモス瑠偉のサッカー愛はこれからも尽きることはない。 ◇ ◇ ◇ 突然の訃報に驚いている。12月19日、読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄さんが亡くなられた。Jリーグ誕生当初、ヴェルディの優勝祝賀会でものすごく喜んでいただいたことをいまでも思い出す。怖いけど、やさしくてすてきなひとだった。日本のプロスポーツ界への思いは熱く、怒ってくれる人がいなくなって、本当に寂しい。謹んでお悔やみ申し上げます。 サッカーのプロ化をひもとくと、ヴェルディの前身、読売クラブが先駆的な存在だった。いち早く選手とプロ契約を結び、育成組織を充実させ、時間をかけて黄金期を作り上げた。その流れは31年前のJリーグ誕生につながり、ヴェルディは93、94年とJリーグチャンピオンシップ連覇を果たした。 もう一つの大きな転換期は93年W杯アジア最終予選だ。最終戦、イラクに勝てばW杯切符を手にすることができた日本代表は、追加タイムに同点ゴールを喫し、出場権を逃した。その年の5月、熱狂のうちにJリーグが誕生したものの、ドーハの悲劇で、私たちは絶望のどん底にたたき落とされた。しかし、その劇的な幕切れはさらに日本のサッカー熱を高め、大きな社会現象となった。 そんな激動の1年が明けた94年の1月、いまは亡き木之本興三さん(当時Jリーグ理事、のちにJリーグ専務理事)とJリーグの将来について熱く語り合ったことがある。そのとき、私は「まだまだ育成が甘い」と訴えた覚えがある。 その後、日本サッカー界は紆余(うよ)曲折があったものの目覚ましい発展を遂げる。98年フランス大会で初めてW杯に出場し、その後7大会連続でW杯出場。2002年日韓大会で16強入り。10年、18年、22年大会も16強入りし、現在進行中のW杯北中米大会アジア予選では圧倒的な強さで王手をかけた。 特にこの4年間の成長ぶりには目を見張るものがある。2022年W杯カタール大会では1次リーグでドイツ、スペインを破り、決勝トーナメントに進出。世界をアッと驚かせた。三笘や久保ら、海外のトップリーグ、トップクラブで活躍する選手が続き、日本代表のほとんどを”海外組”が占めるようになった。 その原動力となったのが、Jクラブが長い年月をかけて培った育成の力だ。多くのトップ選手はJの育成組織を経て、さらには育成経由で高校、大学からJクラブ入りし、世界に飛び立った。 日本代表の躍進は、日本人選手の海外におけるステータスを飛躍的に高めた。一方、アジアを見渡してみると、サウジアラビアは外国人枠を10人に増やし、金にものをいわせてスーパースターをかき集めた結果、自国の代表選手のレベルが落ち、弱体化した。 オーストラリアは世代交代に失敗した。中国は多くの外国人選手に中国国籍を取得させ、戦力強化を図っている。インドネシアも同様。それが世界の流れかもしれない。W杯に出場すれば一時的に盛り上がるかもしれないが、その先に未来はあるのか? 正直、アジアのレベルは低下している。それに比べ、日本サッカー界はここまで正常な進化を続けてきた。問題は、次のステップだ。いま必要とされるのは、世界トップレベルにいる育成年代の指導者ではないだろうか。プロとしての意識をいかにして植え付け、高めていくか。練習への取り組み。試合への臨み方、考え方。海外のトップクラブに負けない育成の人材を集め、組織を作り上げる。 同時に、トップチームの監督にも、海外で実績を残している指導者を招聘(しょうへい)する。かつてはベンゲルやフェリペといった世界的な指導者がJクラブで指揮を執ったが、リーグのレベルがついて行けなかった。しかし、今は違う。今季、広島があとちょっとのところで優勝を逃した。スキッベ監督は2002年W杯日韓大会でドイツが準優勝したときのコーチだ。若い選手をうまく育て、3位、3位、2位と毎年、上位に食い込んでいる。サッカーの質も高く、一度見たらまた見たくなる魅力的なサッカーだ。 横浜Mが招聘した前イングランド代表ヘッドコーチのスティーブ・ホーランド新監督にも注目している。プレミアリーグの強豪、チェルシーやU―21イングランド代表のアシスタントコーチなども歴任しており、マリノスにどんな変化をもたらすか、楽しみだ。 日本代表選手の価値が飛躍的に高まったいま、次はJリーグ、そしてJクラブの世界的ステータスをいかに高めていくかが課題だ。近い将来、欧州5大リーグに近づき、いつの日か肩を並べるためのステップ。それこそがJクラブの経営者が目指すべき方向性ではないだろうか。 今季、Jリーグの年間総入場者数は過去最多の1254万265人を記録した。これまでの最多は2019年の1104万3003人。コロナ禍前の数字を大きく上回った。J1からJ3まで、J60クラブが全国各地に広がり、文化として根付いている。リーグを、そしてJクラブを愛してくれているサポーターの力は絶大であり、みなさんの力があれば、日本のサッカーは必ず世界のトップクラスに追いつけると信じている。 「月刊ラモス」は今回が最後となる。長らくお付き合いいただき、本当にありがとうございました。来年がみなさんにとっていい年でありますように。そして日本サッカーが永遠に進化しつづけることを心から願っています。(元日本代表)=取材協力・KAKU SPORTS OFFICE
中日スポーツ