「私がこういうの書けば満足なんでしょ?」と戸川純が持ち込んだデビュー作は?(レビュー)
去る7月17日、第171回芥川賞が決定し、川上未映子が選考委員を代表してマスコミに講評を述べた。落選した尾崎世界観「転の声」について、記者席から、尾崎と同じく音楽の世界も知る立場からどう読んだかという質問が出た。 音楽に限らず、異ジャンルからの作家デビューは、別ルートとして定着したように見える。先日の芥川賞候補でも、いわば正規ルートである5大文芸誌の新人賞からデビューした新人作家は松永K三蔵のみだった。門戸が広がったとも、新人賞という制度が形骸化したとも取れるが、是非は措き、事実そうなっていることが確認できればそれでいい。 今月もそんな異ジャンルからの新人作家が一人デビューした。戸川純「狂女、純情す」(文學界8月号)。 ゲルニカ、ヤプーズといったバンドや、ソロ活動でも知られる歌手であり、80年代サブカルチャーにおいて特異な存在感を放った戸川純の初長篇小説である。 「別ルート」でのデビューは、文芸編集者がスカウトするケースが多く見受けられるが、戸川は持ち込みだったそうだ。出版予定を蹴ったり蹴られたりして行き場を失った原稿を、戸川自ら文藝春秋に持ち込んで掲載が決まったと、自身のYouTube番組で話していた。 語り手「わたし」の造形が作者と瓜二つなので、私小説だろうと読み進めていくと次第に様子が違ってくる。この小説は、作者が戸川純というイメージを最大限に活用し、虚実を意識的に混淆して書き上げたサイコホラーなのだ。 年下の好男子との運命的な大恋愛と思い込み、「ケン」「シュン」と本名ではない二人だけの愛称を決め呼び合う愛欲の日々に耽っていたが、歯車がズレ始め、致命的な破綻が訪れる。ズレの原因は一つには「境界例」が持病の「わたし」の発作的凶暴性なのだが、ケンも実は輪を掛けたサイコパスで……という具合だ。 付録の作者インタビューで戸川は「私がこういうの書けば満足なんでしょ?」という気持ちで書いたと話している。エンターティナー魂を感じるが、期待に応えるほどに「病む」とも話していて、複雑なパーソナリティがうかがえる。 [レビュアー]栗原裕一郎(文芸評論家) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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