藤本タツキ原作の映画『ルックバック』:創作の喜びと苦悩に満ちた新たな傑作アニメーションの誕生
「創作」の巨大なエネルギー
しかし、「創作」や「創造性」が必ずしもポジティブなものとは限らない。漫画『ルックバック』のすごみは、創作という行為がはらむ巨大なエネルギーを、藤野と京本、ふたりの少女を通して描き出したところにあった。彼女たちの生み出すフィクションや創作物はなんの役にも立たないかもしれない、しかし同時に他人の人生を大きく変えてしまうかもしれない。そのエネルギーは、時として人間を恐ろしい深淵(しんえん)に引きずり込むことさえある。 原作の発表直後から議論を呼んだのは、劇中に、2019年7月に発生した京都アニメーション放火殺人事件を思わせるモチーフが登場していることだ。藤本が『ルックバック』を「自分の中にある消化できなかったものを、無理やり消化するためにできた作品」と語っているのは、単純にこれがパーソナルな物語なのではなく、社会と創作の関係を反映した物語でもあるからだろう。 だからこそ、あえて言えば、映画の後半はコミック以上に切実な内容となった。原作の時点で、現実に起きてしまった悲劇の“受け止めきれなさ”を表現していた展開が、また別の重みをもつことになっているからだ。 本作がアニメーションであり、大勢の人びとが関わっているから、というだけではない。前述したように、この映画が、漫画にはない“時間”をもって原作を解釈しているからだ。藤野と京本の時間が丁寧に立ち上がり、その尊さが心に残るほど、すでに過ぎ去った、二度と戻らない時間の重みがいやおうなく際立つ。クライマックスで時間をめぐる仕掛けが発動したときの情感もまた、“時間”の流れが存在する映画ならではのものだ。 漫画ではわずか1コマ、あるいはほんの1ページを、じっくりと時間をかけながら描く──そのスタンスは、この映画が終わる、まさにその瞬間まで貫徹されている。1時間にも満たない作品ながら、その“時間”の豊かさは唯一無二だ。当代きっての漫画家による傑作が生んだ、アニメーション映画の新たな傑作である。