前人未到の領域に達した大テノール、グレゴリー・クンデの魅力を味わい尽くす
大谷翔平が大リーグの記録を次々と塗り替えて話題になっているが、オペラの世界にも、前人未到の世界に到達している驚異の歌手がいる。アメリカ出身のテノール、グレゴリー・クンデ。今年70歳になったが、衰えを見せないばかりか、ますますパワーアップしている。 【画像】その他の写真 テノールは非日常的な高音域で歌うので、若くてもコンディションの維持が難しく、一般には、歌手生命を長く保てないことが多い。ところが、クンデにはそんな常識が少しも当てはまらない。声のみずみずしさも、艶も、ハイCなど超高音の輝きも、若い歌手とくらべて遜色がないうえ、かぎられたテノールしか持ちえない劇的表現力も卓越している。だが、それだけではない。そこに年輪を重ねてこそ得られた味わいや表現の深みが加わるから、だれも太刀打ちできないレベルの歌になるのである。 持ち前のポテンシャルがすこぶる高かったのに加え、若いときから声を大事に育ててきたことが功を奏したようだ。とりわけ往年の大テノール、アルフレード・クラウスの教えが大切だったようだ。 「46年ほど前、シカゴの若者向けプログラムでクラウスと勉強したとき、『時間をかけなさい。落ち着いて、前進しすぎないようにしなさい』と指導されました。クラウスの教えはまさに正解でした。私は52歳のときに声が変わり、以前より張りつめた声になったので、それまで歌っていたベルカント・オペラは後進に譲り、レパートリーを変えました」 クンデは2000年に、東京の新国立劇場に出演している。その役はモーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》のドン・オッターヴィオで、エレガントな歌唱がいまも耳に残っている。 「クラウスの超高音も真似しましたが、それ以上に彼から学んだのは、すばらしいレガートに豊かな色彩が加えられたエレガントなフレージングでした」 とクンデは語る。それを活かし、声を軽く使う役を大事に歌ってきたおかげで、声帯が疲弊しても不思議ではない年齢になって、声が大きく成長したのである。 「それまで軽めのベルカント・オペラを中心に歌っていたのが、まずベルリオーズのいくつかの役を歌い、初期ヴェルディに挑み、(バリトンのような声の)バリテノールが歌ったロッシーニの役、たとえば《オテッロ》の題名役を歌うようになりました。そして2012年には、ついにヴェルディの《オテッロ》にデビューしました」 無理をせず、ケアしながら大事に育てたからこそ、50代で得られた劇的な声。2015年にはスカラ座でロッシーニの《オテッロ》を歌い、その2週間後にヴェルディの《オテッロ》を歌うという、クンデいわく「本当にイカれた挑戦」を成功させている。 挑戦はまだまだ続いている。2024年秋以降も、ブリテン《ビリー・バッド》のヴィア艦長やプッチーニ《西部の娘》のディック・ジョンソンなど、役へのデビューが目白押しだ。そして、実年齢より40歳も50歳も若い役を、十分に若々しく、だが、若い歌手には表現できない精神性を注入して歌いこなす。 「ちゃんと化粧をしているから、実年齢よりきっと若く見えますよ(笑)。私は、いま歌っている役を歌うようになったのが遅かっただけに、歌って楽しいです。たとえば《トスカ》のカヴァラドッシは、30代前半くらいで歌う人が多いですが、私ははじめて歌ったのが68歳ですからね! 今後も許されるかぎり挑戦します」 このコンサートではクンデの新たな魅力も堪能できる。コロナ禍に再会したという若いころの思い出の音楽、アメリカのオールディーズ・ポップスも聴かせてくれる。 「オペラ歌手がこうした曲を歌うとき、オペラを歌うように歌いますが、私は違います。まるでフランク・シナトラ2世のように(笑)、クルーニング唱法でやさしく歌います。これらの曲は、私がオペラをはじめて聴く前から聴いていた心の故郷なんです」 前人未踏の領域にいるテノールが聴かせてくれる圧巻のオペラ・アリアに加え、やさしく歌われるオールディーズ。「ホームランと盗塁」をともに味わえるような幸せに浸れそうだ。 取材・文:香原斗志 グレゴリー・クンデ 偉大なキャリアを経ていまが旬 2025年2月1日(土) 13:30開演 サントリーホール 大ホール