女性の「ボディヘア」はなぜ今もタブーなのか?...「無毛」とその歴史
<ありのままの自分の体型を認める「ボディ・ポジティブ」が世界中で広がり、「バストトップ」へのタブーも薄れているにもかかわらず、女性の体毛はいまだ忌避されるのはなぜか>
1999年、映画『ノッティングヒルの恋人』のプレミア上映会でジュリア・ロバーツのドレスからわき毛が見えたことは当時、大事件として扱われた。 【写真】『ノッティングヒルの恋人』プレミアでのジュリア・ロバーツのわき毛 フェミニストとしての意思表示ではないかとも言われていたが、本人いわく「処理をし忘れていた」とのこと。大女優が実はズボラな女性であったことに人々は驚き、笑いのタネとなった。 あれから約25年、現在では太っているか痩せているかといった体型、高いか低いかといった身長など、ありのままの自分の体を認めて受け入れる「ボディ・ポジティブ運動」が世界中で広がっている。プラスサイズモデルが活躍していることは承知のとおりだ。 また近年、セレブたちがこぞってシースルードレスを着用し、バストトップを見せることはジェンダーなど「社会規範」への挑戦としてトレンドとなっている。しかし、女性の「ボディヘア(体毛)」については、いまだトレンドとして「ポジティブ」には受け入れられていない。 実はすでにその「社会規範」に挑戦し、わき毛を披露する人気モデルのエミリー・ラタコウスキーやローデス・レオン(マドンナの娘)のようなセレブもいる。しかし、相変わらず好奇の目か「売名行為」のようにとらえられているのも事実だ。 このように定期的な処理を怠ることは「女性としていかがなものか」という社会規範は「ジュリア・ロバーツ事件」から今も変わらない。 男性の体毛については「男らしい」とすらされるにもかかわらず、なぜ女性の体毛は忌み嫌われるのか? この疑問をもったイギリスの当時大学生だったローラ・ジャクソンが2019年に始めた「ジャニュヘアリー運動(Januhairy)」が今年も1月に行われた。 髪を伸ばすのと同様に脱毛・除毛をやめるという取り組みで、男性同様に女性にも体毛があり、それは不衛生でも「女性らしさ」の欠如でもないという認識を共有するプロジェクト。その名の通り、毎年1月(January)に毛深く(hairy)なるというものだ。 着実にファンを増やしており、今年も多くの女性たちが脇、腕、脚、そしてひげを誇らしげに見せる写真を次のようなコメントを添えて、インスタグラムにアップした。 「ボディヘアに関する私たちの考えは、社会や文化によって形成されています。全部剃り落とすのか、それとも自然体でいるのか。あなたの体はそのままで美しいのです」 「毛深いことで謝るのはやめましょう」 「人々がどう思おうとも、私自身でいることが快適です」 実際にかつて女性の体毛は今ほど眉をひそめられていたわけではない。わき毛や脚の毛が服から見えたことは普通であり、ヒッピー文化が栄えた1960年代は体毛の除去を拒否し、カミソリを使わないことがフェミニズムの象徴として「かっこいい」とされた時代もあった。 歌手のパティ・スミスも1978年の発表したアルバム「Easter(イースター)」のジャケットでわき毛を見せたポーズを取っている。それが雑誌や広告、映画やドラマ、そして現在ではSNSをとおして、女性の「無毛状態」が社会に次第に定着していったのだ。 体毛が男性であれば「魅力的かつ男性的である」とさえされているのに女性はなぜそうはならないのか。「ジャニュヘアリー運動」とは「作られた社会規範」への疑問と問題提起なのだ。 実は体毛を剃らないことの利点もある。汚れや異物から体を守るだけでなく、体温調節の役割もある。何よりも剃ることによって肌を傷つけたり、乾燥の原因を防げる。 衛生面だけでなく肌にも優しい体毛を、そもそもなぜ私たちは剃っているのか。そして、なぜ女性だけが剃るのかという疑問はジェンダー問題に関心がなくとも沸いてくるだろう。 多くのセレブたちがこぞってシースルードレスを着用して乳首を披露することについてはかなり認知されてきたが、「ボディヘア」は今後どうなるのか? 流行をつくるモデルやセレブの動向を無視できないのも事実であるが、「ジャニュヘアリー運動」を立ち上げた1人の大学生に共鳴する、世界中の多くの女性たちの存在も無視できない。
ニューズウィーク日本版ウェブ編集部