不発で甲子園を去る“山梨のデスパイネ”野村健太はプロか進学かで苦悩
初回のライト前ヒットは、完全に差し込まれていたが、パワーで振り切った。その長打力を警戒していた熊本工の外野手はフェンス手前まで深く守っていた。おまけにスタートが遅れ、甲子園特有の浜風に押し戻された幸運なヒット。8回1死一塁から放った2本目のレフト前ヒットも快音を発したわけではなくドン詰まりの打球。腕力で何とか運んだものだった。3本目は延長10回1死一塁からレフト前へ引っ張った。芯で捉えた打球だったが、ヒットエンドランがかかっていたことが積極性を生み快打につながったように感じられた。 すべての打席でタイミングが取れていなかった。差し込まれるのを嫌がって、上体が突っ込み、手打ちになってバットのヘッドが走らない。悪循環に陥っていた。 関係者に聞くと、春から夏にかけ肩を痛めて調子を落としたまま最後の大会を迎えたという。山梨大会ではデッドボールを左肩に受けた影響もあった。山梨大会でも15打数5安打5打点の数字を残してチームの甲子園出場に貢献したが、本塁打は0本で、ボールを飛ばすことに苦しんでいた。 試合後、野村は、「全力を出し切れたので悔いはありません。ただ、全然、チャンスで打てませんでした。これがいまの実力です」と、淡々とコメントした。 調子を取り戻せないまま最後の夏を迎えたことについて聞かれると、「普通に打てなかっただけです」と言い訳をしなかった。 不調に陥った理由を問われ「わかりません」と首を横にふった。 どの球団も右の大砲は喉から手が出るほど欲しい素材。巨人の岡本や西武の山川に代表されるように右の和製4番が育てば、チームに軸が生まれる。しかも、4番打者だけは育てられない、天性のものだと言われている。この日、ネット裏で見守ったスカウトも、“山梨のデスパイネ”に対する期待は、大きかったが、そのバッティングの内容に対しては厳しい意見が飛び交った。 中には「タイミングの取り方が遅いからどうしても差し込まれてしまう。足や肩がずば抜けていいわけではないから、右の大砲候補だと余程打たないと苦しい。いまのままでは手をあげない球団も出てくるのでは」と指摘するスカウトまでいた。 成長期にある高校生は、この時期、浮き沈みが激しく、評価が難しいのは確か。だが、“山梨のデスパイネ”として上位指名確実、というまでの評価は得られなかった。 野村は、試合後、進路について明言を避けたが、プロか、東京六大学かで悩んでいる。早稲田実業から日ハムにドラフト1位で入団した清宮幸太郎の際にも、議論になったが、「投手は高卒」、「野手は大学、社会人を経た方がベスト」というのが、スカウトの間の定説ではある。”山梨のデスパイネ”は、果たして、どんな決断を下すのか。ポテンシャルはある。いずれにしろ、何年か先まで彼の“その後”を追いかけたい逸材であることだけは疑いはない。