完全に無視されている19年前の女系天皇議論 成城大教授・森暢平
◇社会学的皇室ウォッチング!/126 これでいいのか「旧宮家養子案」―第28弾― 小泉純一郎政権は19年前、「皇室典範に関する有識者会議」(吉川弘之座長)を発足させ、女性・女系天皇の「途を開くことが不可欠」という結論を得た(2005年11月24日)。しかし、この報告書は、21年の新しい有識者会議(清家篤座長)では完全に無視された。政策変更するにせよ、以前の検討にまったく触れようともしないのは、どう考えてもおかしい。(一部敬称略) 小泉政権下の有識者会議の座長吉川は工学者であった(以下、会議の報告書を吉川報告書と呼ぶ)。吉川報告書は、合計特殊出生率(一人の女性が産む子の数)の低下に注目し、その要因である晩婚化の背景には、女性の高学歴化、就業率の上昇、結婚観の変化があると見た。皇室も一般社会から配偶者を求める以上、こうした動向と無関係だとは言えないとする。現在の合計特殊出生率は史上最低の1・20である(05年では1・29)。男子しか継承権がない皇室では、この数字が2・0を上回らないと継承者の数は先細りする。 明治天皇の孫世代をみると昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮の4人で、男子5人、女子7人をなしている。出生率は3・0であり、男子皇族数は減少しない。ところが、曽孫世代だと、上皇、常陸宮、寬仁親王、桂宮、高円宮の5人で、男子2人、女子6人。出生率は1・6まで低下した。一般社会と同様、晩婚化の影響が大きい。大正天皇夫妻が結婚したのは20歳と15歳、昭和天皇夫妻は22歳と20歳、上皇夫妻は25歳と24歳、天皇夫妻は33歳と29歳であった。外務官僚としてキャリアを積んだ雅子さまを見れば分かるように、女性も学校卒業後就業し、結果として結婚は遅くなる。 吉川報告書は「歴史的に男系継承を支えてきた条件が(略)出産をめぐる社会動向の変化などにより失われてきている」と断言する。明治天皇以前には側室(お妾(めかけ))も許され、正配に子がなくとも、跡継ぎを確保する手段はあった。家族の倫理観の変化からそれも許されなくなった。