「差別がなくなれば」白杖を手にスタート台へ オリ・パラ〝二刀流〟を目指す視覚障害スイマー、日本選手権で伝えたかった思い
視覚障害のある水泳選手、石原愛依(22)=いしはら・めい、福岡県大牟田市出身=が母校の柳川高(同県柳川市)で「乗り越える力」と題して生徒たち約1200人に講演した。大学時代に原因不明の弱視になり、水泳をやめようと思ったこともある。石原は逆境をバネに4年後のロサンゼルス五輪・パラ五輪の出場を目指す決意を表明した。 ■【動画】石原愛依の講演の様子はこちらから 石原にとって初めての講演は、特別課外授業として5月28日、古賀賢校長との対談形式で行われた。 3歳から水泳を始め、大牟田市の白光中3年で全国中学校大会女子200メートル個人メドレーを制した。「高2の冬に五輪に出ると決めた」との言葉通り、柳川高3年時には世界ジュニア選手権の2種目で銅メダルを獲得するなど、「五輪派遣記録まで0・2秒に迫り、五輪の表彰台に立てる自信があった」。一躍、代表候補として注目された。
「世界が全く違うものに」
古賀校長に当時頑張ったことを問われ、「練習はもちろん、ごみ拾いやあいさつとか普通のことだけど、小さな積み重ねが神様が運を持ってきてくれる」と答えた。 だが、神奈川大進学後は逆風が吹き荒れた。コロナ禍で授業はなく部活動も制限された。2年秋には視野が狭まる病気を発症。サングラスが欠かせず、プールのコースロープが見えずにぶつかるようになった。「(病気に)向き合えていない。今でも逃げたい。世界が全く違うものになった」と打ち明けた。 恐怖心を持ちながら泳ぎ続けることに耐えられず、監督や病院に付き添う両親に水泳をやめると伝えた。大学4年時。「もう少しだけ愛依の泳いでいる姿が見たい」と父親がぽつりと語った。「自分のためだけではなく、人のために水泳をやるのもありかな。やれるところまでやってみよう」 そう決意すると、周囲への感謝の念も芽生えた。高校時代の担任からは「おまえはおまえのままでいい」と連絡があった。両親や身近な人という大切な人への感謝が前を向く力になった。「障害者になったからこそ当たり前に感謝できるようになった」と振り返る。