企業で不祥事発覚!!……でも中の人は悪いと感じてない?
◇誤りは必ず起きる、そこからどう立ち戻るか もともと、組織には個人を超えて知識を継承できる能力があり、残念ながら、これは望ましくない行為にも当てはまってしまいます。そのため、通常の人事異動で少数の人が入れ替わったくらいでは、新しい人も「そういうものなんだ」と組織のルールへ従い、いったんパターン化された不正行為を覆すまでに至らない場合があります。そして、慣習的な不正行為として定着します。 慣習的な不正行為は、別の問題もはらんでいます。それは、それまで行ってきた行為からもさらに逸脱し、不正行為がエスカレートしていく可能性です。 実際、三菱自動車では、軽自動車市場における燃費競争が加熱するかなかで、法規で定められた測定法を使わなかっただけでなく、燃費目標を達成するためにデータ改ざんなどの行為もおこなっていました。 このことは、慣習的な不正行為を放置してしまうと、高すぎる目標設定や競争激化など、いざ組織的課題にともなう圧力がかかった際に、さらなる逸脱へと踏み込んでしまいやすいという問題を示唆しています。 当事者たちにとっては、組織内のルールであって、問題は生じないはずだったのかもしれません。しかし、最初はほんの少しの逸脱でも、気がついた時には後戻りできないほど、社会とのズレが大きくなっていくものです。 他方で、企業不祥事が社会問題化し、表立って批判にさらされると、会社も世間も、はたして悪いのは誰か、どこの責任だと、犯人探しを始めます。たしかに、不正の根源をつきとめることは大切ですし、とくに経営トップや幹部クラスの指示があったかどうかは焦点になりやすいものです。 しかし、例にあげた検査不正のように、組織内でパターン化した不正行為は、責任の所在が見えにくくなります。指示の有無もまた、一言で片付けられません。経営者が設定した高い目標を達成せよと号令をかけて、そのプレッシャーで不正が行われるような場面も想定できますが、実際の因果関係を確定させるのは容易ではないことです。むしろ、慣習的となってしまった不正行為の場合、部分的な指示関係を見ただけでは、全体像は解明できないと考えるべきでしょう。 どうしても人間は、複雑な事象をわかりやすいストーリーに再構成して理解しようとしますが、組織論的な立場から言えば、会社の中は、多くの組織、複数の人々、様々な業務が連なり、それぞれの意思決定の連鎖によって実現されます。不正決定に至った最終地点だけに注目しても問題は明らかになりません。 なぜ仕組みを改善することができなかったのか。どうすれば正しい行為が可能だったのか。恐れず社内で声をあげて、しっかり議論できる体制になっているか。組織において、不正行為は常に起きる可能性があります。誤りをゼロにするというよりは、誤りがあった場合に、どう立ち戻るかということが重要に思います。
會澤 綾子(明治大学 商学部 専任講師)