原監督に見えた名将の品格
長嶋終身名誉監督を抜く6度目の優勝
午後6時3分。 ちょうど、東京ドームでは先発の菅野が、打席に広島カープのキラを迎えている最中だった。遠く甲子園では、最後の打者、鳥谷が見逃しの三振に倒れ、マジック対象チームだった阪神がヤクルトに6対7で敗戦。その瞬間、巨人の2年連続35度目のセ・リーグ優勝が決定した。東京ドームの大ビジョンに試合結果が伝えられたのは1回裏の巨人の攻撃が始まる前。場内から大きな祝福の拍手が起きると原監督は、無表情のまま手を2度叩いた。 [表]セリーグで連覇を達成した球団と監督 優勝回数は、長嶋終身名誉監督の通算優勝回数の5度を抜き6度目となった。川上哲治氏の11度、水原茂、藤本定義の9度に次ぐ巨人歴代監督4位(戦後では3位)となる優勝回数である。野村克也氏、上田利治氏の5度も抜き、巨人を含む全監督でも歴代7位となった。私には、その実績にふさわしい名将の品格が、原監督には備わりつつあると感じた。 今シーズン、何度かネット裏で立ち話をさせてもらった。 「プレッシャーをあえて感じた中でいかに勝つか。そこを試されているんです」 開幕は、WBCに多くの主力を送り込んだ影響でベストメンバーを組めなかったが、原監督は、そういう覚悟を持っていた。責任を負うつもりの連覇宣言である。ようやく面子が揃い始めると、今度は、故障者に悩まされたりもした。取材の中で浮かんできた原監督の、やろうとしてきた野球を言葉にすれば以下の5つだろう。 「ぶれない」。 「我慢」。 「信頼」。 「競争」。 「先を見据える」。 開幕、しばらくして村田のバットが湿ると迷わず5番から7番に下げた。 「あえて下げました。巨人は“戦力が違う”と評価してもらっていますが、そんな簡単なものなら苦労はしません。(笑)。状態のいい選手をうまく使っていかないと点は取れないですよ。村田は間違いなく後半に上がってきます。それがわかって待ったのです」 原監督は「村田・7番」の意図をそう説明していたが、その見立ての通り7、8月には連続の月間MVP賞を奪うほど復活。ついには4番に座った。だが、9月8日の阪神戦では1点差で迎えた無死一、二塁で4番に据えた村田にバントを命じた。