<ロシア>ネムツォフ氏殺害事件 プーチン政権の関与は? 国際政治学者・六辻彰二
2月27日、モスクワのクレムリン(大統領府)そばの路上を婚約者と歩いていた、野党「ロシア共和党・人民自由党」議長のボリス・ネムツォフ元第一副首相が銃殺されました。3月7日、ロシア連邦保安局(FSB)は容疑者2人を拘束したと発表。これによって、真相は明らかになるのでしょうか。
プーチン政権を批判、野党結集
ネムツォフ氏は1959年生まれ。ソ連末期の1990年、ロシア共和国人民代議員に当選し、ソ連崩壊後は議員、ノヴゴロド州知事などを歴任。改革派としてボリス・エリツィン大統領(当時)を支持し、1997年には第一副首相に任命されましたが、「過大な外資流入がロシアを不安定化させた」として、約8か月で解任されました。ちょうどその頃、入れ違いのようにプーチン氏は大統領府副長官に就任し、権力の座へ駆け上がりました。 ネムツォフ氏はその後もリベラル派として政治活動を続け、2004年にウクライナで親ロシア派大統領に対する抗議運動「オレンジ革命」が起こると、親欧米派を支持。これによって就任した親欧米派のヴィクトル・ユシチェンコ大統領の経済顧問にもなりました。 一方、プーチン政権には批判的で、2012年にはバラバラだったリベラル派野党の結集に参画し、「ロシア共和党・人民自由党」の共同議長に就任。ウクライナ危機におけるロシア政府の関与も批判しており、殺害される直前の2015年2月には、英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューに「(ロシア政府がその派遣を否定している)ウクライナで死亡したロシア兵に関する報告書を作っている」と述べていました。
プーチン氏は徹底捜査を指示
ネムツォフ氏とともに「ロシア共和党・人民自由党」の共同議長を務めてきたミハイル・カシヤノフ元首相は、事件に関するAFP通信のインタビューに「ロシアを自由な民主国家にするために闘ってきたことへの報復」と述べ、「プーチン政権あるいは過激なナショナリストによる暗殺」を示唆しました。また、欧米メディアの論調もほぼ同様です。 一方、プーチン大統領自身は3月4日、ロシア内務省での会合で、「このような汚点と悲劇からロシアは決別する必要がある」と述べ、徹底した捜査を指示したうえで、「事件には政治的な背景がある」と強調しました。自らへの疑惑が深まっているなか、プーチン大統領の発言は「ロシア政府への不信感を強めようとする勢力の仕業」という意味に捉えられます。 プーチン政権下では主なテレビ局が国営化されており、さらに近年ナショナリズムが強まっているなか、「プーチン大統領の名誉を傷つけるための『挑発』」という政府よりの論調も珍しくありません。その矛先はウクライナ問題に批判的な野党から、CIAに代表される欧米諸国、ウクライナ政府、チェチェンなどのイスラム過激派、さらにネムツォフ氏自身がそれに近かった、プーチン政権下で抑圧された新興財閥にまで向かっています。