あれも、これも消えた…涙でにじんだファインダー 故郷の大船渡を撮り続ける思いは
「イーハトヴは一つの地名である」「ドリームランドとしての日本岩手県である」。詩人・宮沢賢治が愛し、独自の信仰や北方文化、民俗芸能が根強く残る岩手の日常を、朝日新聞の三浦英之記者が描きます。 【画像】震災前の写真が「癒やしに」 故郷・大船渡を写したアルバム200冊
60年以上撮り続けた故郷・大船渡
私設ギャラリーに足を一歩踏み入れると、壁を埋める大型のカラー写真や200冊を超えるアルバムが、訪れた人を出迎える。 大船渡市の「ギャラリーさかい」。 展示されているのは、酒井丈夫さん(取材当時82)が60年以上、故郷・大船渡の街並みや風景を撮影し続けてきたフィルム写真の数々だ。 写真を撮り始めたのは、高校2年生の時。 修学旅行で撮影係を任されたため、父親にヤシカのフィルムカメラを買ってもらって以来、とりこになった。 高校卒業後、セメント会社や大型スーパーで働いたが、その間も故郷の風物を夢中になって撮り続けた。 商店街の催しや町内会の祭り。山から見える工場群、大船渡駅前を行き交う人々のにぎわい――。 大船渡写真クラブの会長になった2004年からは、自営するスーパーの旧店舗を「ギャラリー」として開放し、仲間と一緒に撮影会や展示会を楽しんでいた。
変わり果てた故郷、涙でにじむファインダー
2011年3月11日。 そんな日常を大津波が打ち砕いた。黒い波は高台にある「ギャラリー」のすぐ手前まで迫ってきた。 民生委員として、地域に亡くなった人がいないかどうか確認するよう求められ、地区内を回った。 だが、常に持ち歩いているカメラを手にすることは、どうしてもできなかった。 「親類を亡くして涙する遺族に、レンズなんて向けられませんでした……」 数日後、死者の確認を終えると、近くのカメラ店に残っていたフィルム200本を買い受け、変わり果てた故郷の姿を撮り続けた。 半世紀以上も撮影し、すべてが見慣れているはずの街は、完全に面影を失っていた。 「あれもない、これも消えた……」 シャッターを切る度にファインダーが涙でにじんだ。
写真を見ながら、震災前の話を
あの日から10年以上。復興が進む大船渡の様子を、今もフィルムカメラで撮影して回っている。 がれきが取り払われ、更地になり、新しい建物ができる。 震災前の写真はどれもが貴重な「記録」になり、時折、新聞記者や市職員が「使わせてほしい」とやってくる。 「写真の良いところは、それを見ていると自然と当時のことを思い出せることです」と酒井さんは言う。 「震災前の写真を見ながら、震災前の大船渡の話がしたい。ここで暮らしていく人たちにとって、ある種の『癒やし』につながるのです」 (2022年12月取材) <三浦英之:2000年に朝日新聞に入社後、宮城・南三陸駐在や福島・南相馬支局員として東日本大震災の取材を続ける。書籍『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で開高健ノンフィクション賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で小学館ノンフィクション大賞、『太陽の子 日本がアフリカに置き去りにした秘密』で山本美香記念国際ジャーナリスト賞と新潮ドキュメント賞を受賞。withnewsの連載「帰れない村(https://withnews.jp/articles/series/90/1)」 では2021 LINEジャーナリズム賞を受賞した>