開業から半世紀、「黒船」と恐れられた大型商業施設はいつしか地域の仲間に…イオン鴨池店、惜しまれつつ今日閉店 午後7時からセレモニー
鹿児島市のイオン鹿児島鴨池店が31日、閉店する。1975年にダイエー鹿児島ショッパーズ・プラザとして開業。県外資本による大型商業施設は当時珍しく、地元からは「黒船」として恐れられた。半世紀の間に地域へとけ込み、県民に親しまれる存在となった。30日も閉店を惜しむ多くの客であふれた。 【写真】〈別カット〉イオン鹿児島鴨池店への感謝を込め開催された鴨池商店街振興会主催のイベント=24日、鹿児島市の同店(同会提供)
同店は鴨池動物園跡地にオープン。スーパーのほか衣料品や雑貨などの専門店、飲食店が並ぶ巨大施設に、鹿児島市史には「百貨店並みの豪華な構えで過去のスーパーのイメージを変えた」、山形屋(同市)の社史にも「全国展開する巨象」と記された。 「丸い建物の造りが印象的で、きらびやかな場所だった」。40年以上前、旧内之浦町の岸良小学校の修学旅行で、会社員釘田博さん(56)=都城市=は訪れた。鹿児島市を回る最終日の目玉だった。「初めて見る物ばかりで、みんな目を輝かせていた」と懐かしむ。 ■□■ ダイエーの進出で打撃を受けた地元通り会。売り上げ減や後継者不足もあり、活動は難しくなっていた。2019年、イオン鹿児島鴨池店を含む地元商店街など7団体で「鴨池商店街振興会」をつくった。JR鹿児島中央駅や市南部の新たな商圏も意識し、「鴨池を盛り上げよう」と一致団結した。 「昭和の黒船がやってきた」。ダイエー開店当時、県外のアパレルメーカーで働いていた中園賢一会長(75)は父からこんな言葉を聞いた。帰省時に実際に見ると、商品の種類や価格の安さに圧倒された。各店の経営者は個別配達や量り売りで差別化を図り「ダイエー対策」は熱を帯びた。
それが校区の夏祭りを一緒に開くなど地域を盛り上げる仲間に変わり、24日は会主催でイオンへの感謝イベントを開いた。イオングループは今後、複合型施設などを視野に再開発する方針で、中園会長は「新たに形を変えても連携していけたら」と期待した。 ■□■ 「競争相手が出てきたという感じだった」と振り返るのは、天文館でカバン店を営んでいた樋口弘文社長(78)。顧客流出を心配した各通り会は青年部を立ち上げ、勉強会を開いて経営戦略を練ったり、地区にアーケードを増やしたり必死だったという。イオン鹿児島鴨池店は交通の便がよく役所や商店街が集約される地区。WeLove天文館協議会の牧野繁会長(68)は「今後の再開発も目が離せない」と関心を寄せる。 九州経済研究所の福留一郎経済調査部長(58)は「当時の安く大量に売る戦略はデフレ経済に合っていた。ダイエーの進出で鹿児島の流通戦争の火ぶたは切られた」と指摘する。一方で「地元に愛される大型店として、周辺商店街と共存共栄を図り、地域の成長と活性化を後押しする存在だった」と評価した。
31日は午後7時から閉店セレモニーが開かれる。
南日本新聞 | 鹿児島
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