<センバツ>「おじいちゃんの期待に応えたい」 出場決定まもなく他界 習志野・桜井選手
31日の準々決勝で接戦を制し初の4強入りを決めた習志野(千葉)の桜井亨佑(こうすけ)選手(2年)は、センバツ出場決定から間もなく他界した祖父の堀越一代(かずしろ)さん(享年79)に活躍を誓い打席に入った。「打っておじいちゃんの期待に応えたい」。いつも手紙で励ましてくれた祖父への思いを胸に、準決勝を見据えた。 【一塁へ頭から滑り込む習志野・高橋雅】 堀越さんは若いころ、地元・千葉県成田市の草野球チームでプレーし、桜井選手の父城規夫(きみお)さん(51)も中学で野球部に所属。桜井選手も自然な流れで野球を始めた。 中学の軟式野球部時代、祖父は毎回のように試合を見に来てくれた。打席に入る前に必ず「がんばれー」という声が聞こえた。高校で下宿生活を始めると、祖母敏子さん(77)とともに3カ月に1度のペースで、体調を気遣ったり、野球部での様子を尋ねたりする手紙を送ってくれた。 昨年10月に関東大会が開幕する直前、祖父に末期の肝臓がんが見つかった。試合に集中させようと、年末まで孫には伝えられなかった。今年1月25日、出場校に選ばれると、入院中の祖父からすぐに手紙が届いた。「三振してもよいから全力で悔いのないように」 2月9日に息を引き取る直前まで「亨佑が甲子園で活躍する姿を見るまで死ねない」と繰り返していたと、家族から知らされた。「甲子園で打って恩返しする」。通夜で大粒の涙をこぼしながら、自分に言い聞かせた。 市和歌山との準々決勝では、4番打者として出場。2回戦で2安打を放った時のような快音を響かせることはできなかったものの、八回に一塁の守備で先頭打者の鋭い打球をジャンピングキャッチ。ピンチの芽を摘んだ。 「最後まで気を緩めずプレーできた」と逆転勝ちに手応えを感じつつ、次戦に臨む。「甲子園でも、天国から『がんばれー』と言ってくれている気がする」。自分のバットでチームにさらなる歴史を刻む。【秋丸生帆、加藤佑輔】