「他球団でコーチ」と「野球以外で知識を蓄える」立浪和義が再びユニホームを着るために必要なことと江本孟紀の期待
現役時代に“ミスタードラゴンズ”と呼ばれた立浪和義さんは、大きな期待を背負い、2022年に中日ドラゴンズの監督に就任する。 【画像】江本孟紀さんが立浪監督時代の3年間を分析した著書『ミスタードラゴンズの失敗』 しかし、3年連続で最下位となり、2024年9月に退任を表明した。 野球解説者の江本孟紀さんの著書『ミスタードラゴンズの失敗』(扶桑社新書)は、なぜ立浪さんが監督として成功しなかったのかその理由を考察している。 立浪さんの再起を期待し、3年間の監督経験を今後に生かしてほしい、はい上がってほしいとエールを送る江本さんの期待に応えるためには何が必要か。一部抜粋・再編集して紹介する。
監督からコーチになった野球人はたくさんいる
2022年から3年間で立浪監督は退任した。3年連続最下位という結果に終わった以上、仕方がないと見る向きもある。 だが私はここであえて言わせていただくが、「もう一度、立浪に監督のチャンスをあげてほしい」と思っている。 もちろん1~2年先にとは言わない。3年先でもいいし、もっと言えば5~6年先でもいい。彼が還暦を迎える前後あたりから再び監督としてのチャンスをあげてもいいんじゃないかと考えている。 そのために立浪がしなければならないことがある。言わずもがな、一にも二にも自己研鑽を積むことである。できれば解説者としてではなく、ドラゴンズ以外の球団でコーチとしてユニフォームを着てもらいたい。 「監督を務めた人が、他球団でコーチなんて……」という考えをお持ちの人もいるかもしれないが、前にもお話しした通り、山内(一弘)さんや中西(太)さんだって打撃コーチとしてよそのメシを食べていた時期があったし、旬の選手たちを指導することに充実感を得ていた。 立場が変わって立浪だって山内さんたちと同じような感覚で選手たちを指導できる可能性がある。
3年間の監督経験をどう次につなげるか
それに監督からコーチになった人は、山内さんや中西さんだけではない。 西武、ロッテで合わせて9年間監督を務めた伊東勤だって、2019年から21年までの3年間、ドラゴンズの与田剛のもとでヘッドコーチをしていたではないか。 尾花(高夫)だって、横浜の監督を2010年から2年間務めて結果を出せなかったその1年後、巨人の二軍投手総合コーチとして現場復帰している。実は尾花はこのとき4球団からオファーをもらっていたが、他の3球団は一軍で、巨人だけ二軍でのコーチ要請だった。 「監督として学んだことを実践するには、完成された一軍の選手より、二軍のほうがいい」という理由で巨人を選んだ。監督を経験したことで、「指導者として持ち続けなければいけない矜持」について学んだのだろう。 立浪はドラゴンズで監督を務めた3年間の経験をどう次につなげていくのか。 監督以外の何らかの肩書でユニフォームを着て、よそのメシを食べていくことが一番しなければならないことじゃないかと思っている。 そのためには、立浪自身は謙虚さを失ってはいけないし、どんなタイプの選手から声をかけられても、的確にアドバイスできるだけのさまざまな引き出しも用意しておかなければならない。 だからこそ、監督で思うような成果が出せなくたって、落ち込んでいる場合ではないのだ。 そもそも私に言わせれば、プロ野球の監督を3年間務めることができただけでも幸せだし、なんなら勝ち組だと思ったっていいくらいだ。 長年野球界を見続けてきて、プロ野球の監督をやりたい者はごまんといた。それでも声がかかるかどうかは、「運」と「タイミング」次第である。この二つのどちらかでも欠けていれば、永遠にそのチャンスが巡ってくることはない。 今回の経験をよい教訓を得たと思って次につなげてほしいのだ。