81歳の現役野球部コーチ・松岡功祐の夢は、佼成学園の甲子園出場とNPBへの完全復帰!
「僕は、『罵声を飛ばす前に教えなさい』と思っています。ちゃんと指導もしてないくせに『なんでできないんだ!』と怒っても仕方がない。『おまえは、どれほどの選手やったんや!』と言いたくなりますね。プロ野球選手でもできないことがあるんだから、そのレベルに合わせて指導しないと」 明治大学で島岡吉郎監督の薫陶を受け、社会人野球、プロ野球、大学、独立リーグで指導してきた松岡の結論だ。 「もちろん、暴力は論外。絶対にダメです。保護者が大事に大事に育ててきた子どもですよ。ないがしろにすることなんかできません。その子なりに一生懸命に頑張っているんだから、暴力も罵声もダメですよ。 僕は、佼成学園の選手たちが本当にかわいくて仕方がない。僕の守備練習を秘かに〝松トレ〟と言っているらしいですよ。『やべえ~、これから松トレだよ』って(笑)」 愛情を注いでいるからこそ、甲子園に出たいと松岡は思う。 「今年こそ、本当の勝負です。東京が西東京と東東京に分かれた1974年以来の甲子園を狙います。僕はとにかく元気ですし、もし甲子園に出られれば話題になるはず。これまでお世話になった人たちに『松岡もまだまだ頑張っているな』と思ってもらいたい」 そして...松岡にはもうひとつの夢がある。 「今年2月で81歳になりましたけど、もう一度NPBに戻りたいと本気で思っています。野球が好きで、ここまで野球ひと筋でやってきました。最後の夢というか、目標ですね。80歳を超えてもまだコーチができることを証明したい。 僕みたいにすべてのカテゴリーで指導をしてきた人間はそういないでしょう。60年以上の野球経験を買っていただければ! 人生経験は売るほどありますから。もし落合博満さんが監督やGMでプロ野球に復帰する際にはお願いに行こうかな(笑)。僕の存在を面白いと思ってくれる人がいたら、うれしいですね」 ★本連載は今回で終了となります。ご愛読ありがとうございました。 ■松岡功祐(まつおかこうすけ) 1943年、熊本県生まれ。三冠王・村上宗隆の母校である九州学院高から明治大、社会人野球のサッポロビールを経て、1966年ドラフト会議で大洋ホエールズから1位指名を受けプロ野球入り。11年間プレーしたのち、1977年に現役引退(通算800試合出場、358安打、通算打率.229)。その後、大洋のスコアラー、コーチをつとめたあと、1990年にスカウト転身。2007年に横浜退団後は、中国の天津ライオンズ、明治大学、中日ドラゴンズでコーチを続け、明大時代の4年間で20人の選手をプロ野球に送り出した(ドラフト1位が5人)。中日時代には選手寮・昇竜館の館長もつとめた。独立リーグの熊本サラマンダーズ総合コーチを経て、80歳になった今も佼成学園野球部コーチとしてノックバットを振っている。 取材・文/元永知宏