15歳で「生存率10%」の難病が発覚…日本ハム・山崎福也の父が振り返る「小児脳腫瘍」からの復活劇「ダルビッシュ有に力をもらった…不思議だね」
代われるものなら代わってやりたい
そんな山崎家に突然、大きな影が差したのは福也が中学3年生の2007年11月。進学する日大三高への健康診断書提出のため、念の為に全身の検査をしたことがきっかけだった。磁気共鳴画像装置(MRI)の画像で脳の一部に影が映った。さらなる精密検査の結果は「小児脳腫瘍」。重要な神経が集まる延髄周辺に4cmを超える腫瘍が見つかった。当時、章弘さんは四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグスのコーチに就任したばかりだった。 「代われるものなら代わってやりたい。本当にそう思いました。15歳でそんな可哀想なこと……。最悪どうなるんやろ、とか、色々なことが駆け巡りました。頭ですし、生存率10%ってね。考えたくないけれど、覚悟した部分もありました」 難しい箇所である上に、まだ15歳という年齢で後遺症のリスクの高い手術を引き受ける医者はすぐに見つからない。情報を集め全国の病院を探した末、たどり着いたのが北海道大学病院の脳神経外科医だった沢村豊医師(現さわむら脳神経クリニック院長)だった。 「色々な先生に相談しましたけどね。そりゃそうですよ、頭の手術で何かあったらその後の方が長い。躊躇してしまいますよね。沢村先生は『これは僕しかできませんね』って。本当に命の恩人です」
手術の前日に見たダルビッシュ有の完封
手術は翌2008年の3月21日、北海道大学病院で行われた。その前日、山崎は札幌ドームで行われた日本ハム対ロッテの開幕戦を観戦した。チケットを用意したのは章弘さんだ。「野球が見たい」。手術を前にした愛息の願いに、日本ハム時代に付き合いのあったマネージャーに急遽連絡して手配した。 「開幕投手のダルビッシュ(有)が投げて完封してね。それで力をもらったんだと福也が言っていた。今考えれば不思議だね。あいつはやっぱり北海道に縁があったんだね」
父は感嘆「あいつは本当に強い」
手術当日、章弘さんは高知のオープン戦遠征のため北海道から遠く離れた徳島にいた。路子さんが手術に立ち合い、当時聖望学園高の新3年生だった兄の福之さんはセンバツ出場を控えていた。報告を受けたのはメールだったという。腫瘍を全摘出。手術は無事に終わった。思わず全身の力が抜けた。 「福也は手術の翌日、立ち上がって歩いたらしい。1週間で退院して学校に行ったと言うからね。手術の前も後も、メソメソしたところは全く見せなかった。あいつは本当に強いんですよ」
よう頑張ったな、って言葉をかけました
術後、愛息と初めて顔を合わせたのは約2週間後のことだった。聖望学園がセンバツを勝ち上がり、兄の試合の応援に来た福也と関西で再会した。 「熱くなりましたね。よう頑張ったな、って言葉をかけました。野球の練習もすぐに再開して日大三高で甲子園に出て、プロにまでなってね。その後も毎年オフシーズンには検査に行っていたんです。頭(脳腫瘍)のことを全く気にしなくなったのは最近のこと。本当に頑張ったと思いますよ」 章弘さんが福也から驚くような言葉を聞いたのは、プロ野球選手を目指し野球に熱中していた日大三高時代のことだ。<つづく>
(「プロ野球PRESS」佐藤春佳 = 文)
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