ハヤテからのNPB復帰。元DeNA倉本寿彦は「そんな甘くはないですね」と言った
4月末時点ではウエスタンリーグ首位打者も狙える数字を残しながら、5月以降は試合から遠ざかっていたので、「すでにNPB12球団のどこかから声がかかり調整しているのでは」と思い質問した。倉本は笑いながら「まだどこからもお話はありません。そんな甘くはないですね」と答えた。 「ファームリーグでいくら成績を残しても他球団に1軍で必要とされないとダメですし。ただ、ありがたいことにアピールできる場はいただけているので、感謝して頑張っていきたいなと思います。週明けのオリックス戦には出たいなと考えています。身体の張りもだいぶ取れました。公式戦出場は1ヵ月も空いたので、試合感覚を取り戻せるまで少し時間はかかるかもしれませんが、そういう時間も楽しみながら取り組みます」 若手選手とは違い、33歳の倉本がNPB12球団から声をかけられるためには、「1軍で即結果が残せる」と確信してもらえるような圧倒的な成績が必要だ。倉本はそれでも「99パーセント無理だと言われても、残り1パーセントの可能性に対して応援してくださる方がいるならば、自分を信じて諦めず頑張りたい」と話した。 ■今も心の「ど真ん中」に生きる、伝説のスラッガーの教え 横浜高時代は春夏連続で甲子園出場。創価大で2度ベストナイン獲得。学生時代の野球経歴だけ見れば「エリート」という言葉が浮かぶが、倉本は自身を「叩き上げ」と話す。横浜高は一般受験で合格し、創価大ではプロ志望届を提出したが声はかからなかった。 社会人になってからドラフト指名され、子供の頃から憧れたプロ野球選手になる夢が叶ったのは、ある指導者との出会いが大きく影響していた。170cmの小柄な体躯で王貞治、野村克也に次ぐプロ野球歴代3位の通算567本塁打を放った門田博光だ。日本新薬2年目の2014年、倉本は1週間限定の臨時コーチとして来た門田に教えを受けた。 門田は現役時代、独特の凄みや他人を寄せ付けない雰囲気を醸し出し、「孤高」という言葉で表現されることも多かった。南海、オリックス、福岡ダイエーで44歳まで現役を続け、本塁打王3回、打点王2回ほか数々の記録を打ち立てた伝説のスラッガーだが、NPBでの指導経験は一度もないまま2023年1月、74歳でこの世を去った。 「門田さんと巡り会えて本当に良かったと、心の底から感謝しています。間違いなく、今も僕の心のど真ん中にいます」 倉本は、門田に指導を受けた1週間がなければ、「プロ野球選手にはなれなかった」と振り返る。自他ともに認める頑固で偏屈な変わり者。現役時代にあれだけの実績を残しながら、NPBでは一度も指導者としてユニフォームを着ることがなかった門田の教えとはどんなものだったのか。倉本が「今も僕の心のど真ん中にいます」という理由が気になった。 (つづく) ●倉本寿彦(くらもと・としひこ) 1991年生まれ、神奈川県出身。横浜高では後輩の筒香嘉智らと共に夏の甲子園でベスト4。創価大から社会人の日本新薬を経て2014年ドラフト3位でDeNA入団。1年目は65試合にスタメン出場。2年目にショートのレギュラーに定着し、3年目の2017年シーズンは全試合出場した。22年に戦力外通告を受けて日本新薬に戻った後、くふうハヤテに移籍しNPB12球団復帰を目指している 取材・文・撮影/会津泰成