ケロポンズ、園児に人気「エビカニクス」はNY録音 本気の遊びが子どもに大ウケ
ケロポンズの子ども時代 ケロ「歌が大好き、前髪短め」、ポン「野山を駆け回るきかんぼう」
こんな楽しいケロポンズだが、どんな子ども時代を送っていたのだろうか? ケロ:おちゃらけるのが好きな子でした。恥ずかしいんだけど、わざと人前でコケてみる、とかやってました。あと歌うことが好きで、小学校1年生のとき、先生に「歌が上手だから、みんなの前で歌ってみて」って言われて、「おうまのおやこ」を歌ったのをおぼえてます。その出来事はすごく励みになったかも。そのころピアノも習っていて、歌とピアノが大好きだったので、そのまま音楽の道に進みました。その頃から前髪短かったし、そのまま大人になっちゃった。大学は国立音楽大学の幼児教育専攻で学び、幼稚園の先生にもなりましたが、やはり自分は何かを表現するのが得意だと思い先生はやめて、バンド「トラや帽子店」の道に進んだわけです。 ポン:私はすごいきかんぼうで、野山を駆け回っているような子でした。海も川も山もある広島の田舎で、川で泳いだり、魚をとったり。学校ではすごくいい先生に出会いがあって、将来は学校の先生になりたいと思い、大学に進みました。方向性としてはやっぱり遊びを考えるというもので、幼稚園の先生を少ししていました。でも子どもには先生と思われていなくて、「ぼくのパパは会社に行っているけど、ポンちゃん、俺たちと遊んでいていいの?」とか、保育後にやっていた子どもの料理教室を手伝っていた時も「ポンちゃんは食べるの好きだからこの教室に入ったの?」とか言われて。たぶん先生とは思われていなかった。また、ずっと男だと思われていたこともありました。大人とも、女だとも思われてなくて。
童謡、歌謡曲、ニューミュージック、そしてピンク・フロイド
ケロポンズの音楽のルーツも気になった。 ケロ:母が台所で歌ってくれる童謡がすごく好きでした。一緒にハモったりしていろんな歌を覚えました。歌謡曲も好きでしたね、「さよならはダンスのあとに」「ブルーライト横浜」とかよく聴いていました。「こんにちは赤ちゃん」は自分が赤ちゃんなのに歌っていたそうです(笑)あと、思春期には4つ上の兄が隣の部屋でピンク・フロイドとか戸川純とかちょっと変わっている曲をガンガン聴いていたんですよ。その中でも矢野顕子とかは私も大好きになり、今も変わらず好きです。当時はうるさいなあと思っていたけど、兄の聴くものにかなり影響受けたのかな、いま思うと。 ポン:うん、聴いていた。一番最初に買ったレコードは石野真子さんの「春ラ!ラ!ラ!」で。小学校4年生、はじめて買ってもらったのがこれでね。「春という字は三人の日と書きますという歌詞に、ほんとだー」と思って感動したんですよね。これは小学生なりに衝撃が走りました。石野真子さん、けっこう好きで「狼なんか怖くない」も歌詞が面白くていいですね。 ケロ:昭和の歌謡曲って歌詞がすごいよね。ユーミン、オフコースなどのニューミュージックにもかなり影響を受けたね。 ◇ ◇ 来年はケロポンズ結成から20周年を迎える。「やったことないことやりたいね」と二人は言う。クレーンで吊られて蝶になったり、馬に乗って登場したり。「クレーンで吊られて蝶になったりする?」「アリーナとかでやっちゃう?」(笑) ケロポンズのやったことのない「面白いもの探し」はまだまだ続く。