0-2から大逆転で日本一! 浦和Jrユースの合言葉は「仁さんのために」慕われながらクラブを去る36歳指揮官、主将が継承する“浦和の血”
[12.27 高円宮杯U-15決勝 浦和Jrユース 3-2(延長) G大阪Jrユース 味フィ西] 【写真】「イケメン揃い」「遺伝子を感じる」長友佑都の妻・平愛梨さんが家族写真を公開 11年ぶりの高円宮杯王者に輝いた浦和レッズジュニアユースは「仁さんのために」を合言葉に0-2からの大逆転を成し遂げ、心から慕った指揮官に日本一の金メダルをプレゼントした。試合後、主将のDF岩崎篤斗(3年=浦和ジュニア)は開口一番に「監督のことを思って試合をやると、こんなにパワーが出るんだなと。まずはそこを改めて思った」と声を震わせながら振り返った。 今季の浦和ジュニアユースを率いる金生谷仁監督(36)は来季からFC琉球のトップチームコーチに就任。現役引退後の2011年、自身もかつて選手として在籍した浦和ジュニアユースのコーチとして指導者キャリアを踏み出して以降、14年間にわたって浦和一筋でアカデミー指導に携わってきたが、クラブレジェンドの平川忠亮氏が琉球監督に就任するのに伴い、平川氏を右腕として支える覚悟を決めた。 そのため今回の高円宮杯は、計約20年間にわたって過ごしてきた愛するクラブでの最後の大会。しかし、指揮官はそんな個人的な思いをよそに、それ以上に大事なことを感じていたという。 「本当に僕の人生全てはここなので。ただ、それはそれと決めていました。とにかくあの子たちとの試合を本当に楽しみたいと自分自身も思えた。もちろんこのエンブレムを着けて戦う最後の試合を楽しみたいとは思っていましたが、まずは保護者、スタッフ、選手、このファミリーと戦う最後の試合を楽しみたいと思っていました」(金生谷監督) もっとも、そんな思いを持つ指揮官に対してだからこそ、選手たちの思いもまた違っていた。 主将の岩崎は準決勝に勝利した後、自ら「監督が今年で最後なので、最後に浦和の漢になってもらえるように頑張りたい」と切り出し、決勝に向けたモチベーションをアピールしていた。またスタンドの応援団の中には「漢 金生谷仁」というテープが貼られた自作Tシャツを着用する部員の姿も。彼らとは長年の付き合いだということを差し引いても、飛び抜けた愛されようだった。 岩崎は金生谷監督について「監督は本当に愛される監督だなとつくづく感じていて、情熱が本当にすごい。浦和のためにすごく熱く戦ってくれる監督で、いろんな人から愛されているなというのを僕も感じます」と教えてくれた。また指揮官の姿勢は選手たちの言葉からだけでなく、全国大会決勝戦というビッグマッチにおける振る舞いからも感じられた。 この日の浦和Jrユースは前半30分までに0-2とされ、そのままハーフタイムを迎える苦しい展開。しかし、金生谷監督は声を荒らげるような素振りは見せず、時には笑顔を見せながら選手たちと向き合っていた。 「大好きな子たちに楽しんでもらいたい、それが一番ですね。勝ってほしいことより、楽しんでほしいが先に来ていました。笑顔でというのは意識してというより、自然にそうなっていましたね」。そんな指揮官に勝敗に対する不安は「全くなかった」という。 「この大会は初戦から、最後の最後まで何かやってくれるだろうなという期待しかなかったですね。選手も僕たちスタッフも本当にお互いが信頼し合っていたから、俺たちは大丈夫というそれで繋がっていた。だから何の不安も本当になかったです」(金生谷監督) だからこそ、ハーフタイムにまずかけた言葉は叱咤ではなく「楽しんでるか?」という問いだった。 「ハーフタイムに帰ってきた時もまず『楽しんでるか?』と聞いたら『楽しい!』っていうから『じゃあいい!』と。もちろん戦術的なことも言いましたが、選手たちが何よりもそう(楽しいと)思ってプレーしてくれたのであればよかったなと思います」(金生谷監督)。その返事を聞いて、選手たちへの信頼が揺らぐことはなかった。 もっとも指揮官の言葉通り、ハーフタイムには戦術的な変更も試み、これが反撃の一助となった。先発の4バックには左から186cmのDF瀬戸駿(3年=さいたまシティノースFC)、182cmのDF松坂碧生(3年=浦和ジュニア)、180cmのDF岩崎篤斗(3年=浦和ジュニア)、180cmのDF高橋奏太(3年=浦和ジュニア)の大型選手を並べ、左サイドハーフにも178cmのDF笠間遼世(3年=浦和ジュニア)を起用していたが、配置を変更。1人の選手交代とともに瀬戸を右SBに移した上で、笠間を左SBに下げ、高橋を右サイドハーフに上げたことで次第に押し込めるようになっていった。 こうした柔軟な配置変更ができるのも、選手の個性と向き合い、活かし方を考え続けてきたからであろう。そもそも中学年代では珍しい大型選手を積極的に起用するのも、彼らの個性や将来性、さらにはクラブの未来も考えてのことだった。 「彼らは技術的にはあまり高くないですが、そこに目はやらない。あの子たちのいいところにとにかく目を向けてやっていたので、たくさん失敗しようとも大丈夫と常に言っていましたね。そして選手たちもそれに対して責めるとかもないし、『こいつの良さはこれだ』というのをみんながわかっていて、みんながストレスを感じるとかもない。みんながどんなポジションでも、どんなシステムでも、誰が入ってもやれるんじゃないかなと思います」(金生谷監督) その結果、浦和Jrユースは後半に2点を返して同点に追いつくと、延長戦の勝ち越しゴールで勝利。後半アディショナルタイムの同点弾はGKのファンブルを逃さないしたたかさ、延長戦のゴールは粘り強い前線の守備意識がゴールにつながっていた中、指揮官は「僕が何かを言ったわけでもない」としつつ、「あいつらがいろんなことを感じて、いろんなことを伝え合ったりして、その結果、ああやってボールが転がってきたり、最後に刈り取れたりしていたので、みんながつながってできたのかなと思います」と最後まで選手を称えていた。 そんな金生谷監督は中学日本一という11年ぶりのタイトルを置き土産にクラブを去る。琉球での挑戦に向けては「ここで出会った方への感謝を胸に、浦和で経験したことの全てを背負ってチャレンジしたい。とにかくヒラさんのために。それが浦和の男だと思うんで、とことんヒラさんのためにやりたいなと思っています」と静かに決意を示した。 一方、指揮官の思いは浦和ユースに進む岩崎が担い、受け継がれることになる。「僕は小6、中3と監督とやってきたので、監督の血というのは僕の中に入っている。僕が監督の思いも背負って、高校でしっかりとこの血を合わせて、より強い浦和レッズにしていきたいです」(岩崎)。愛され、慕われ、信頼された指揮官のもとで得た財産はこれからのキャリアでもいっそう輝くはずだ。