【能登半島地震】祖父母の家で被災…ふるさとを離れ山口で学ぶ大学生 いま思うこと
ことし1月1日午後4時10分、能登半島で最大震度7の地震が発生。犠牲者は手続き中の災害関連死を含めて299人、住宅は全壊、半壊あわせておよそ3万棟…現在も2000人を超える人たちが避難所で生活しています。(7月1日現在) 震災から半年。山口大学で学ぶ石川県出身の学生を取材しました。地元を離れ過ごす中で感じる被災地への気持ち、そして今思うことをききました。 6月27日。能登半島地震から半年が経とうとしているとき、山口放送の取材班は山口大学人文学部4年生のみきさんに話を聞きました。 みきさん自身は石川県金沢市出身、元日は、能登半島の先端、珠洲市にある祖父母の家に親戚(祖父母、両親、、妹、弟、叔母、いとこ)と集まっていたそうです。 落ち着いた雰囲気のみきさんは初対面の私たちにも、丁寧に、当時の状況を話してくれました。
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■1月1日、親戚との団らんの時に…
(みきさん) 「その時は、ちょうど家族みんなで近くのお寺にお参りに行った後で…帰ってきたからみんなでおやつでも食べようかという時間帯だったので、みんなで祖父母の家の居間にいました。みんなでさあ食べようという状況だった時に最初の揺れが来ました」「その1回目の揺れが終わったときに叔母が外に出ようといって、みんなそれぞれいろんなものをもって、私はすぐ家の中に戻れるだろうと思っていたのでとりあえずコートだけ着てスマホだけもって」「わたしと妹だけ興奮じゃないけど走って浜の方まで2人で行ってしまって、そのあと一番大きい揺れが来たんです」 「その揺れが来た時に抱き合っていたんですけど、立っていられなくて地面にたたきつけられるように倒れて、その揺れで祖父母の家の土蔵が崩れたのが見えて、祖父母の車を入れていた車庫も崩れていて、それを見て妹と私は泣き叫びました」 元日。珠洲市では最大震度6強の揺れを観測、大津波警報も発令されました。 両親と祖父はまだ家の中にいましたが、みきさんは祖母、叔母、妹、弟、いとことともに、とにかく逃げることになりました。