「人工呼吸器をつけたら父は一生寝たきりに…」ハリー杉山がくだした選択「最後に過ごせる時間」を優先させた思い
それに対し、ヘルパーさんはひとりで何人もの利用者の方を介護します。業務を行うため、わりとサバサバしているんです。食事の介助などでも「今日これ以上食べるのは難しそう」と判断すると、ある程度食べた後に引き上げます。最初は、その様子をクールに感じていました。でも、「できること」「できないこと」の判断を瞬時にすることで、多くのタスクに取り組めると気づきました。疲れ果てるまで向き合うのが、必ずしも正解というわけではないと学びましたね。
■「人工呼吸器をつけない」選択は間違ってなかった ── 施設に入居したお父様は、2022年に亡くなったと伺いました。 ハリーさん:ちょうどコロナ禍で、思うように会えなかったときでした。2022年の3月のはじめ、18時ころに施設から「ハリーさん、来たほうが良いです」と連絡がありました。母と急いで駆けつけると、父の血中酸素濃度がとても低かったんです。救急車を呼んだものの、発熱をしていたので新型コロナウィルスの可能性があると、受け入れてくれる病院が見つかりませんでした。
救急隊の方から「人工呼吸器をつける選択肢がある」と教えていただきました。でも、一度つけると命をつなぐことはできても日常の動きは制限され、寝たきりになり、永遠の別れを告げる可能性がある。逆に、つけなかったら今、死ぬかもしれない。正解がわからず、非常に悩みました。最終的に、つけない判断をしました。翌日の1時ころ、ようやく受け入れてくれる病院が見つかったんです。1か月入院したのですが、もう自分で食事ができないから、胃ろうを作る手術が必要だと言われて…。いつ亡くなるかわからないのなら、せめて最期は一緒にいたいと思い、施設に帰ろうと決めました。
もちろん、自分で食事ができない父を施設に帰せば、施設のスタッフの負担は大きくなります。だから「僕と母で父の面倒を見ます。責任はすべて負います」と交渉しました。最期の日々は、つきっきりでした。食事ができない父のため、1時間かけてのどをマッサージして、一粒のゼリーを飲みこませるなどしました。緊急搬送されてから3週間後、父は帰らぬ人となりました。「父との時間が欲しい」という家族の思いを理解し、受け入れてくれた介護施設にはとても感謝しています。本当はもっと一緒に人生を歩んでほしかったです。僕にとって最高の父でした。