君たちは人生、何年と思って生きたのか?”最強”戦闘機『紫電改』と海に消えた若者へ~人生100年時代からの質問
唯一無二の紫電改で何を伝えるか
地元住民によると、戦闘機が海に”着水”し、搭乗員が生きていた可能性もある...という目撃情報は当時からあった。しかし戦後、戦争の話をするのは「どこか、はばかれる」(地元住民)雰囲気があり、事実は忘れ去られようとしていた。 33年たって偶然、ダイバーが水深41メートルの海底で紫電改を発見し、1979年、操縦していた可能性のある6人のご遺族が見守る中、引き揚げられた。しかし、機体には遺骨も遺留品もなく、誰が操縦する紫電改だったかは分からなかった。「もはや誰が乗っていたかは問題ではありません。みんなの記念であると解釈しています」(ご遺族の言葉・紫電改展示館HP)。 取材で感じたのは、戦争の道具として使われた戦闘機を展示し、何を伝えるかの難しさだ。「乗り物」なら国の重要文化財になる例も増えている。歴史や学術上の価値があれば、例えば蒸気機関車や貨物船などが日本の近代化を支えた遺産として認められるからだ。ところが戦闘機となると話が違ってくる。当時の技術の粋を集めて作られていても...だ。「航空機」のくくりで探しても国の文化財指定はない。(地方自治体の指定は3件) 日本で唯一、実話と共に展示された紫電改で何を伝えるのか。「平和の大切さ」は人類普遍のテーマだろう。そんなことを考えていた時、ふっと心に浮かんだのが「君たちは人生、何年と思って生きていたのか」という問いだった。6人が生きていて質問できたなら、想像を絶する厳しい時代を生きた人生の先輩に、問いかけたに違いない。
人生100年時代がもたらした豊かさと貧困
岸田政権になって「人生100年時代」を、どう生きるかが政策課題としてクローズアップされている。例えば年金問題だ。まさに100年に渡って年金財政の均衡を図るために、5年に一度、実施される財政検証が始まろうとしている。立ちはだかるのはインフレだ。インフレは年金を減価させる。NISA(投資で得た利益を非課税で受け取れる制度)だって、人生100年時代の経済的自立はご自分で...という国の財政事情が背景にある。もちろん、リスクもご自分で...ということになる。 『紫電改展示館』の主人公でもある6人の若者は、人生を100年から逆算して生きるのではなく、死ぬまでが人生だった。もしかすると、人生の”長さ”という観念すらなかったかもしれない。 命は存在そのものが尊い。平和によって、尊い命の100年時代が実現したことには感謝したい。しかし、だからといって、存在の尊さが無条件に守られる保証はない。例えば、極端な格差や貧困は尊さを傷つける。 『紫電改展示館』は戦闘機が展示物であるがゆえに、訪れた人に生々しく死生観や人生について考えさせる。戦争という日本では”非現実”がそこにあるからこそ、現実を直視させる。「君たちは人生、何年と思って生きていたのか」という問いかけは、実は自分にこそ向けられるべき問いであったことに...気付かされた。