「日常業務の一部分だった」旧優生保護法の下で優生手術を申請した精神科医
khb東日本放送
旧優生保護法の下で優生手術を申請した精神科医の男性は「日常業務だった」と当時を振り返りました。
精神科医の岡田靖雄さん(93)です。高齢となり体調がすぐれない中、取材に応じてくださいました。 岡田靖雄医師「この際やれるだけのことはやっておこうと思って、(取材を)お引き受けしたわけです。(取材に応じるのは)自分の予定としては最後と思っています」 岡田さんは、1950年代から1960年代にかけて東京都立の病院の精神科に勤務しました。当時の院内では医師が年に一度か二度、医局の黒板に手術の対象者を書き出していたと言います。 岡田靖雄医師「(医者の間では)優生保護法のことは全然論じられなくて、僕は優生保護法について何にも知らなかった」 ある時、知的障害のある30代位の女性が 院内で男性患者と性的な関係に。岡田さんは 「子育ては難しい」と判断し、黒板に女性の名前を書き込みます。 岡田靖雄医師「妊娠して子どもを産むようなことはあっては困ると。優性手術を申請したわけです」 手術は外科医が担当し、岡田さんは助手として立ち会いました。 岡田靖男医師「なすべからざることをしたと今、悔いているわけです。ただ、あの当時としては、はっきり意識して加担したというよりは日常業務の一部分だった」 岡田さんが病院にいた1950年代から1960年代にかけて優生保護法の下で行われた強制不妊手術は、年間約2000人と最も多くなっています。 医学界が手術を推進していく中で、岡田さんは法律に対して疑問を持つようになりました。 岡田靖雄医師「躁鬱病、てんかん、その他病的性格障害とか色々書いてある。ということはその精神病は遺伝で治らないっていうことを法律が言ってるわけですね。良くなるものを法律が治らない病気だと書いている。これはまずいと」 しかし、批判の声に医学界は反応することはありませんでした。 優生保護法の制定から75年以上が経った2月、精神科医らからなる日本精神神経学会は「人権を損ねた」と医師の責任認め、謝罪する声明を発表しました。 なぜ手術を止められなかったのか。岡田さんは、学会による検証は不十分だと指摘しています。 岡田靖雄医師「解明が深まれば良いと思っていますけれど。世の中の勢いからすれば最高裁判決が出れば終わりなんでしょうね。その点すごく残念」
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