シャバカが語る「小さな音」と尺八がかき立てる想像力、「音のポエム」とパーソナルな物語
「音のポエム」とパーソナルな物語
―あなたがこれまで作ってきた作品はアルバムや曲のタイトル、もしくはリリックを通じて人種問題、植民地主義、ディアスポラ、フェミニズムなど、様々なトピックを感じさせてくれました。本作はどうでしょう? シャバカ:特にそうしたわけじゃないよ、少なくともアルバムタイトルとかではね。今回のアルバムタイトルは「ポエティック」だ。ポエトリーというのは「解釈」なんだ。そこに書かれたものや与えられたものをどうアーティスティックに解釈し、「シンボル」としての言葉からいかに意味を見つけ出すか、ということだと思う。そして「シンボル」とは、そこに込められているものよりも深い意味を解きほどき、より深く掘り下げることのできる表現のことだ。人種問題、コロニアリズム、フェミニズム……そういった社会を取り巻く問題は僕自身、そして僕の周囲のコミュニティが経験していることの一部だ。だから、『Perceive its Beauty, Acknowlege its Grace』というアルバムタイトルは、僕がこれまでのアルバムで扱ってきた問題と対照的に関係しているわけじゃないけど、「世界に対する視点」という意味では同じ場所から生まれている。 ―なるほど。 シャバカ:アルバム冒頭の「End of Innocence」「As the Planet and the Stars Collapse」「Insecurities」「Managing My Breath, What Fear Had Become」……これらはどれも断絶というか、これまで常識だと思われてきたものから切り離されることをほのめかしている。 続く「The Wounded Need To Be Replenished」や「Body to Inhabit」ではエネルギーを補充し、再びエネルギーに焦点を当てることが示唆されている。その後、先の数曲で歌っていた“断絶”のせいで必要となった新たな方向へと駆り立てる力に人が動かされ、支配されることが「I’ll Do Whatever You Want」「Living」「Breathing」に至る流れで示唆される。そして最後、「Kiss Me Before I Forget」「Song of the Motherland」に至る頃には、人をそうやって動かし、駆り立て、新しいエネルギーの方向を示していたものは「Song of the Motherland」なのだということが示唆される。でも、それをどう解釈するかは人それぞれだよ。 なので、このアルバムを人種差別やポストコロニアリズムという視点で捉えると、"断絶”を引き起こした原因が見えてくるだろう。「As the Planets and the Stars Collapse」で感じられる“切り離された”感覚を裏付けるものはなんだろう?という視点で見ることもできる。不安さ(Insecurities)の原因は何か? 呼吸を整え(Manage your breath)なければならない原因は何か? 恐怖は何に変わるのか?(What fears become)というふうに。 でも、そういったことをタイトルであからさまにはしたくなかった。あくまでもポエティックなままにして、オーディエンスの側から近づき、その意味を自らが考えられるようにしたかったんだ。彼らがもし僕の過去の作品を知ってくれているなら、その意味はより明確かもしれないしね。たとえ明確でなかったとしても、誰一人として突き止められなかったとしても、何らかのシンボリックな意味は示唆されると思う。時の経過と共にね。 ―前作から今作、そしてこの先も続く壮大な物語であるわけですよね。その大きなストーリーのインスピレーションになったものはありますか? 例えば神話、叙事詩、伝承、昔話とか。 シャバカ:いや、これ自体が物語だよ。 ―どう思いついて、全体像を描こうとしているんですか? シャバカ:定義するなら、sonic poem(音によるポエム)だよ。言葉そのものを見るのではなく、言葉を考えながら音楽を聴くんだ。「African culture perceives its beauty and honors its grace」(アフリカン・カルチャーはその美しさを認識し、その恩恵を知覚する)という言葉を頭に置いて音楽を聴き、その言葉とサウンドが一体となった時、君に何が示唆されるかってこと。それが物語であって、他の物語はない。君の心にもたらされるもの、つまり、それは君が音楽と言葉から想像するものだ。それがこのアルバムによって描かれるストーリーだ。 ―解釈は僕ら聴き手に委ねられていると。 シャバカ:確かにこれまでとは違うやり方だ。もし何か別の伝統的なアフリカの物語を参照にしたとしたら、それは真実ではなくなってしまう。僕が伝えようとしているのは、そういうストーリーじゃない。今回僕が伝えたいのは「このアルバムと出会ってくれた人それぞれのパーソナルな何か」なんだよ。タイトルも物語も、今回はあからさまなものではなくポエティックなのは、特定のストーリーをそこから浮かび上がらせようとしてるわけじゃないからだ。僕が与えるのはあくまでも「目印」もしくは「方向」だね。オーディエンスが自分たちで物語を想像した時、その物語を支えられるように、アルバム全体を通じて短いナラティブ・ポイント……つまりはサウンドと関連付けた言葉たちを置いたんだ。 ―これまでのあなたの音楽には、あなたが暮らしてきた土地の文化や、そこから連なるルーツや祖先の音楽との関係を感じさせるものが多かったと思います。今作に収められた音楽は、あなたとどんな繋がりを持つものだと思いますか? シャバカ:「僕そのもの」ってことじゃないかな。もし音楽から親近感や感受性といった要素が感じられるのだとしたら、それは僕自身の性格の一部だからなのであって、僕のパーソナリティは僕がどう育ち、どういう旅をこれまでしてきてこうなったか……によって決まる。 問題は、外国の文化に対して人は外から見たことしか見えないという点。例えば、その文化に対してセクシーだとか面白いとか思ったとしても、実際にはカリブ海の人間の文化には、海や地形との繋がり、つまりは強い連帯感や内省、魂の探究に関わるたくさんのことがある。それらはカリブの人間でなければ知ることのできないものだ。その土地に観光客として訪れただけでは、わからない。僕がアルバムでエモーショナルな地形を描くことで、人々が必ずしも馴染みのない、カリブ人としての別のアイデンティティの形が見えてくれたらと思ったのはあるね。 ―ネイト・スミスが以前、あなたの『Afrikan Culture』を「Black Meditative Music Space」と評していました。最後に「Space」をつけていたのを非常に興味深く思ったんですよね。 シャバカ:ネイトがその一言を加えたのは素晴らしいことだと思うよ。実際、僕らが今回やりたかったのは「Space」を作ることだった。音を届けるだけでなく、オーディエンスをある種の「Space」に連れていく。そもそも瞑想を実践するうえで大切なのは、集中力を意識することだ。そして、集中力をコントロールするというよりは、集中力を導くことで、物理的な「Space」とは違う、その音が作り出す特別な「Space」へと精神を招き入れること。今いる物理的な環境は四方の壁に囲まれているかもしれないが、そことは違う、より広い「Space」、つまりは精神的な「Space」へ自分を連れ出すことは可能だと思う。音楽が目指しているのがそんな「Space」なのだとしたら、Black、Meditative、Musicという言葉にSpaceを加えたのは、僕があの作品でやろうとしていたことをコンテクチュアライズ(文脈化)する実に美しい方法だと思うよ。
Mitsutaka Nagira