<リオ五輪>金メダル 川井がかなえた五輪競技でなかった時代の母の無念
ところが、川井は吉田や伊調と違って、同世代で最初から抜きんでていたわけではなかった。中学3年で全国優勝すると、愛知の至学館高校へ進学、吉田沙保里をはじめとした世界トップクラスの選手たちに揉まれ、力をつけていった。ただし試合終盤の勝負弱さも指摘されており、栄監督は「タイミングを取るセンスがよい。ただ、負けたらもっと悔しがらないと」と繰り返していた。 「私、マイナス思考なんですよね。すぐに悪い方へ、悪い方へと考えてしまう」 2011年に51kg級で世界選手権へ出たときも、リードされた終盤に弱気が頭をもたげ、雑なタックルをして失点し、表彰台に上がれなかった。それでもあきらめるつもりは全くなく、リオ五輪出場を目指し、技術に磨きをかけていった。今では「川井の組み手は伊調を上回りつつあるのではないか」との評もある。 初めての五輪は、緊張もしたけれど楽しいこともたくさんあった。自分と同じ倖田來未ファンだという卓球の石川佳純選手にも会えたし、選手は無料だというマクドナルドにも行ってきた。前日、先に金メダリストになった登坂には、選手村の部屋で金メダルを見せてもらって、絶対に自分も欲しいと思いを強くした。自分の前に決勝戦を終えた吉田がまさかの敗戦を喫した。 「びっくりしました。本当に、何が起こるかわからないですね。そんななかでも、金メダルをとりたいという自分の気持ちがぐらぐらしないように切り替えました」 ママシュク(ベラルーシ)との決勝は、前日の金メダルがすべて試合終了間際の逆転劇だったのに対し、次々と得点を重ねる圧勝だった。自分の金メダルは、五輪へ出たくてもまだ正式競技に採用されておらず、挑戦すら許されなかった母や、先輩女子レスラーたちへ捧げるものでもある。 「お母さんだけじゃなく、その頃レスリングをしていた女子選手のみなさんに五輪は最高のところですよと伝えたい」 1990年頃には山本美憂がアイドル的人気を得ていた女子レスリングだったが、1996年アトランタ大会で五輪正式種目になると噂されたがかなわず、実際に五輪で実施されたのは2004年アテネ大会まで待たねばならなかった。その山本は選手としてのピークを過ぎ、すでに引退をしていて、五輪に挑戦することすらかなわなかった。 東京五輪出場が有望視されている妹の友香子とは、昨年末、63kg級で全日本選手権決勝を戦った。姉のあとを追うように至学館高校、至学館大学と進学した友香子は、リオにも応援に来て初めての世界一を見届けてくれた。これからは58kg級と63kg級で階級が分かれるので、姉妹揃って東京五輪のマットに立つ姿が実現するかもしれない。 (文責・横森綾/フリーライター)