笑い飯・哲夫「金持ちしか賢くならへんやん」の真意、子どもたち全体の学力を底上げする投資の「格安塾経営」を10年目で公言
「人生半分くらい来てるから」、補習塾経営を打ち明けた
哲夫さんはこれまで、オーナーを務める「寺子屋こやや」を公にしてこず、WEBサイトでも名前を伏せてきた。しかし、ここ1~2年で心境が変わったという。「もうすぐ50歳で人生半分くらい来てるやろうから、もうええわと思って」。そう言いつつ、真意をこう明かす。 「話すことで、同じような活動をしてくれる人がいはったらなと思ったんです。みんなが各地域でやってくれれば、全国展開になります。うちも株式会社にしたので、株で投資してもらえたら。講師は主に後輩芸人がやってくれてますけど、おじいちゃんおばあちゃんでも、バイトの大学生でも、パートのおばちゃんでも面白い。そこそこいい給料払いますよ」 もう1つ、哲夫さんが唱えるのが “地域教育のススメ”だ。 「今の子育ては、『近所の人には子どもを任せられへん』とか、『あの人は気持ち悪い』『あのやり方はちょっと』とか、全部が世知辛い。親が『うちの子はこう育てたい』とあんまり思いすぎるのもよくないんじゃないかな。 僕も昔、あかんことをしたら近所のおっちゃんにえらい怒られました。当時は嫌やったけど、今は『あんとき怒られてよかった』と思う。人によっていろんな子育てがあるから、地域で子育てを担うことはすごく大事なんやないかな。『寺子屋こやや』も、学校と家以外で、子どもが悩みを相談したり社会規範を知ったりできる居場所でありたいのです。例えば、授業後にチャリでラーメン屋に行くとか、大人公認の夜遊びでちょっと背のびができるような環境も整えたい。不安な親御さんもいるかと思いますが、地域が顔馴染みなら、万が一のときも『お前、それ誰と喋ってるん』と気にかけてもらえます。 ただ、今は議論をするにも言葉を選ばなければならない場面が多いですよね。もっとざっくばらんに人と人が話せればいいのに、と感じます」
学校は「先生がちゃんと子どもを怒れる場所」であってほしい
「僕は、学校も、先生がちゃんと怒れる場所であってほしいと思っています。今の先生は息苦しいでしょうね。怒ったら親にどう言われるか、メディアでどう報道されるかと恐れている。公教育がこれでは、子どものためにもならんとちゃうんかと思います。もちろん暴力はいけませんが、暴力と愛の鞭を一緒に議論するのはおかしいでしょう」 そう哲夫さんが語るのは、自身が出会ってきた教員の姿と現在の教員の姿とにギャップを感じているからだ。 「忘れられないのが、中学校の服装検査です。検査だからちゃんとしたズボンをはいたんですが、それがなぜかすごく臭くて。とりあえず母親の香水を振って登校したんです。そしたら教室で、『何か臭うぞ』と騒ぎになって。恥ずかしかったので、先生にそっと『ズボンが臭いので早退したい』と伝えると、『お前は何を言っているんだ』と言いながら僕のズボンを嗅いで、『すぐ帰れ』って(笑)」 おやつを出してくれたり、サッカーゴールを設置してくれたり、細かなルールより子ども優先で、先生の枠を超えて育ててもらった感覚があると言う。ちょうど『3年B組金八先生』の世代でもあり、哲夫さん自身、教員を志した時期もあった。学生時代も塾講師や家庭教師のアルバイトをしていた哲夫さんは、自ら編み出した授業の仕方を含め、現在では教員向けの講演経験もあるという。 「授業は、圧倒的な知識量を見せつけると楽しいんですよ。例えば歴代首相の名前をスラスラ言えたら、子どもたちは『すげ~!』と食いつきます。先生も『俺すごいやろ?』と自画自賛したりしていると、子どもたちにはその姿が可愛らしく面白く映って、笑ってくれる。『ひけらかしたがり』くらいがちょうどいいんじゃないかな。 ただ、教えることが多くて時間もないから、そんな余裕はないのかもしれません。だから僕は、もっと副担任がいていいと思う。塾もそうですが、1人より複数で見たほうがやりやすい。1人に『先生、ここ教えて!』と言われれば授業が止まるし、その間に教室も騒がしくなります。それができないほど教員不足なのは、やはり給料が安いからでしょう。先生はもっと給料をもらってええんちゃいますか」 今後の地球を担う賢い子どもたちを、家庭と学校だけでなく、地域で育てる。いろいろな人と出会い、さまざまな価値観に触れ、閉塞感のある現代を柔軟に生きる。哲夫さんが思い描く地域教育は、少子化が進み人口が減少するこれからの社会の処方箋なのかもしれない。 (文:高橋秀和、編集部 田堂友香子、写真:今井康一撮影)
東洋経済education × ICT編集部