史上最高のギタリスト250選
5位→1位
5位 ジェフ・ベック ジェフ・ベックは、決してギターヒーローになりたいとは考えていなかった。彼はヤードバーズを辞め、ジェフ・ベック・グループを解散させた(バンドはウッドストック・フェスティバルへの出演をキャンセル)。さらに関わった他のバンドも、成功を目前に立ち消えさせている。しかし名誉は捨てても、ギターをプレイする意欲だけは持ち続けた。ジェフ・ベックは、ヤードバーズ時代から既に絶対的なブルーズ・マスターとしてテクニシャンぶりを発揮していた。さらにインストゥルメンタル曲「Beck’s Bolero」では、愛用のストラトキャスターにワウワウを駆使した泣きのギターを聴かせた。コンスタントにサウンドを追求し続ける彼は、70年代半ばには、ジャズ・フュージョンをベースにしたインストゥルメンタルに注力した。ギターにフォーカスしたアルバム『Blow by Blow』に収録のカバー曲「‘Cause We’ve Ended As Lovers」では、ワミーバーやベンディングを交えて多彩な音色を奏でることで、原曲を歌ったR&Bシンガーであるシリータの歌声をギターで見事に再現している。 ソロの絶頂とも言える「People Get Ready」「Nadia」で聴かせた震える泣きのフレーズ、そして「Over the Rainbow」や「Nessun Dorma」での消え入りそうな音域で聴かせる絶妙な表現など、彼にしかできない奏法で、人の歌声をギターで表現するテクニックに長けていた。「これまで大成功した時期というのは無かったが、恐らくそれが幸いしていると思う」と2018年にベックは語っている。「周りを見渡すと上り詰めた人もいるが、考えてみれば本当にくだらない場所だ。自分がそんな立場にいなくて、たぶん良かったんだろうと思う」。 4位 エディ・ヴァン・ヘイレン 仮にエディ・ヴァン・ヘイレンのリリースした楽曲が「Eruption」だけだったとすれば、彼はギターの殿堂の中で、ある程度の地位をずっと維持していたことだろう。ヴァン・ヘイレンはピアノのようにフレットをタッピングして繰り出す奏法や、急降下爆撃を思わせる音響効果やトランペット風のサウンドなど、ギターソロを通じて、誰も思い付かなかったようなギターの潜在能力を引き出した。しかしヴァン・ヘイレンの真価はそれに留まらない。彼は拍手喝采を受けるギタートリックを、オーディエンスと合唱できる楽曲へと巧みに組み込んだ。「Ain’t Talkin’ ‘Bout Love」「Dance the Night Away」「Everybody Wants Some!!」「Jump」などは、ヴァン・ヘイレンの恐るべきテクニックと、デヴィッド・リー・ロスの型破りな歌で絶妙なハーモニーを聴かせている。 皆で歌えるパーティーアンセムのほかに注目すべき曲もある。「Spanish Fly」「Cathedral」「Little Guitars」などはギターソロというよりも、オーケストラ作品に近い。さらに彼は、ギターでの挑戦を止めなかった。「Poundcake」で彼は、電動ドリルをピック代わりにしてギターに悲鳴を上げさせた。「エディ・ヴァン・ヘイレンのプレイには、誰もが釘付けになった。現代のモーツァルトが目の前にいるんだからね」と、ヴァン・ヘイレンの死後にトム・モレロは語った。弾く以外にも、彼は自身の才能をギターという楽器に注ぎ込んだ。ヴァン・ヘイレンは、自作の愛器「フランケンストラト」にフローティング方式のワミーバーを装備したほか、いくつかのパーツは特許を取得している。ヴァン・ヘイレンは、従来のギターの固定観念を完全に破った。驚くことに、すべては彼が独学で身に付けた知識だった。 3位 ジミー・ペイジ レッド・ツェッペリン結成のかなり前からジミー・ペイジは、ヤードバーズやロンドンでのセッションギタリストとしての実績により、ロックの世界では既に名の通った存在だった。ペイジは20代前半にして、ザ・フー、ザ・キンクス、ドノヴァン、マリアンヌ・フェイスフルなど多くのアーティストから引っ張りだこのギタリストだった。しかし1968年にロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムと共にバンドを結成した瞬間に、彼は史上最高のギタリストの一員としての地位を確立することとなった。 レッド・ツェッペリンでのペイジは、刺繍飾りのドラゴン・スーツからオカルトへの傾倒まで、一挙手一投足が即座に伝説化していった。しかし何よりも注目すべきは、印象的なギターリフだ。「Communication Breakdown」や「In the Evening」を聴いた後は、72時間は頭の中でギターリフが回り続ける。「ギターリフというのは、同じパターンを何度も何度も繰り返すから、催眠状態にかかりやすい」とペイジは、2012年にローリングストーン誌のインタビューで語っている。同時に彼は「Going to California」や「Stairway to Heaven」のイントロなど、フィンガーピッキングによるアコースティックのプレイも素晴らしい。「ギターに対する固定観念から脱却するビジョンを持っていた」とエアロスミスのジョー・ペリーは言う。「“The Song Remains the Same”のギターを最初から最後まで追ってみると分かるが、ラウドに始まり、静かにソフトになったかと思うと、またラウドにと、起伏と変化に富んでいる。彼自身が曲を書くと同時に、自分でプレイして、自分でプロデュースしているんだ。そんなことのできるギタリストは、レス・ポールとジミー・ペイジ以外に思い当たらない」。 2位 チャック・ベリー チャック・ベリーは、ロックンロール・ギターの先駆者というだけではない。彼がロックンロール・ギターを完成させたのだ。1956年の名曲「Johnny B. Goode」のイントロに、そのすべてが凝縮されている。18秒間のイントロから、ギターヒーローの絶対的なアンセムが始まる。彼は自分が慣れ親しんだブルーズとカントリー・ミュージックをミックスさせた上にブギウギとヒルビリー的なギターフレーズを融合し、エレクトリック・ギターでハイスピードのオリジナル・スタイルを生み出した。つまり、ロックンロールだ。すべてのアメリカ音楽を辿っていくと、どこかでチャック・ベリーのギターに行き着く。「チャックは、俺たち全員の祖先なんだ」と、彼の弟子であるキース・リチャーズは言う。 1955年にチェス・レコードからリリースした画期的なデビュー作「Maybellene」がヒットした時、彼はセントルイスで美容師をしていた。同曲は、ボブ・ウィルズによるカントリーの名作「Ida Red」にインスパイアされて書いた、とチャック・ベリー本人は常々語っていた。しかし彼は確かに新しいものを作り出し、世界中を熱狂させたのだ。チャック・ベリーは「Roll Over Beethoven」「You Can’t Catch Me」「Little Queenie」「Brown Eyed Handsome Man」といった天才的なヒット曲の連発で、ロックンロールの定義を確立した。チャック・ベリーのギターリフが無ければ、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、クラッシュは存在しなかったと言っても過言ではないだろう。ベリーは60年代初期に有罪判決を受けている。彼は、服役経験を辛辣に皮肉った曲「Promised Land」を書いた。しかしウッドストック時代を迎え、1970年という時代にマッチした「Tulane」をリリースすると、新たにヒッピーカルチャーのファンを得ることになる。 「何も珍しいことをしている訳じゃない」とチャック・ベリーは、自身のギタープレイについて映画『ヘイル・ヘイル・ロックンロール』(1987年)の中で語っている。「時の流れの中で洗濯しているだけだ」。チャック・ベリーの素晴らしい業績を総括するのに、これ以上的確な詩的表現は無いだろう。 1位 ジミ・ヘンドリックス ジミ・ヘンドリックスが、モンタレー・ポップ・フェスティバルでフェンダー・ストラトキャスターに火を付けたシーンは、最も象徴的なイメージとしてロックの歴史に残っている。彼は、ギターを歯で弾いたり背中側に回して弾いたりするショーマンだった。しかし、彼の芝居がかった振る舞いの裏には、ギターを知り尽くした真のギターマスターとしての顔がある。ヘンドリックスのギタリストとしてのキャリアはわずか8年だったかもしれないが、ミュージシャンたちは一生かけても、彼の幻惑的なテクニックや天才的なインプロビゼーションを習得できないでいる。彼は自分でも歌うが、ギターの方にリードボーカルを任せた。彼はフィードバック奏法を世に広め、ブルーズとサイケデリック・カルチャーを独自の方法で融合させることで、その後のロック、メタル、ファンクや多くのジャンルの発展に貢献した。彼はギターを弾いて聴かせるだけでなく、ギターについて語らせても雄弁だった。「ワウワウ・ペダルには、音階が存在しないから素晴らしい」と、1968年のローリングストーン誌のインタビューで語っている。「ただ踏んでビブラートを効かせる。それからドラムが入ってくる。憂鬱というよりは、孤独感やフラストレーションや、何かを求める欲望といった感じだ。何かが手を差し伸べているような感覚だ」。 音楽業界にまだ人種差別が色濃く残る時代に、白人オーディエンスを唖然とさせた黒人アーティストの登場は、カルチャー間のバリアを取り除く重大な出来事だった。この世を去ってから何十年経とうが、ヘンドリックス・ファンは増え続けている。「ジミ・ヘンドリックスが、ロック・ミュージックの可能性を爆発的に広げてくれた」とトム・モレロは言う。「彼はとても気まぐれな性格だったらしいが、もしも今彼が生きていたら、どうしているだろう。ロック界の長老として君臨していたのだろうか。或いは“Sir”の称号を与えられているかもしれない。それともラスベガス・ストリップの常連だろうか。とにかく史上最高のギタリストとして、ジミ・ヘンドリックスのレガシーが確実に受け継がれているのは喜ばしいことだ」。
Rolling Stone