史上最高のギタリスト250選
50位→25位
50位 エルモア・ジェイムス 49位 PJハーヴェイ 48位 カーティス・メイフィールド 47位 ジ・エッジ 46位 フランク・ザッパ 45位 スティーヴ・クロッパー 44位 ジョニー・ラモーン 43位 ジョニー・グリーンウッド&エド・オブライエン 42位 ヴァーノン・リード 41位 ボ・ディドリー 40位 ジョン・フェイヒィ 39位 チェット・アトキンス 38位 アンガス・ヤング&マルコム・ヤング 37位 ピート・タウンゼント 36位 エリザベス・コットン 35位 エリック・クラプトン 34位 ジェリー・ガルシア 33位 ブライアン・メイ 32位 ジャック・ホワイト 31位 ジョージ・ハリソン 30位 ニール・ヤング 29位 エディ・ヘイゼル 28位 デヴィッド・ギルモア 27位 バディ・ガイ 26位 セイント・ヴィンセント
25位→10位
25位 ジョン・フルシアンテ 24位 ジェームズ・バートン 23位 ジェイムズ・ヘットフィールド&カーク・ハメット 22位 アルバート・キング 21位 ランディ・ローズ 20位 スティーヴィー・レイ・ヴォーン 19位 フレディ・キング 18位 トム・モレロ 17位 マザー・メイベル・カーター 16位 ロバート・ジョンソン 15位 キース・リチャーズ 14位 プリンス 13位 トニー・アイオミ 12位 ジミー・ノーレン 11位 カルロス・サンタナ
10位→6位(以降は解説付き)
10位 デュアン・オールマン デュアン・オールマンは、1971年にバイクの事故でこの世を去る。24歳の若さだった。彼のギター人生は短かったが、一生の何回分にも当たるほど凝縮され、しかも将来を先取りしていた。オールマン・ブラザーズ・バンドを結成した彼は、モーダルジャズ、ブルーズ、カントリー、サイケデリックなジュークジョイント・サザンロックなど、アメリカ音楽のさまざまなロードを通過してきた。10代をフロリダで過ごしたオールマンは、ロバート・ジョンソンやチャック・ベリーのレコードに合わせてギブソン・レスポールを弾きながら、腕を磨いた。彼が最初に注目されたのは、マッスル・ショールズのスタジオ・ミュージシャンとして参加した、ウィルソン・ピケットやアレサ・フランクリンとのソウル・セッションだった。そして1969年、弟グレッグと共にオールマン・ブラザーズ・バンドをスタートさせる。デュアン・オールマンは、初めてのリハーサルでメンバーに宣言した。「俺のバンドにいたくないと思っても、簡単には出ていけないから覚悟しろ」。 彼のギタープレイのハイライトは何と言っても、『At Fillmore East』に収められた「Statesboro Blues」の情熱的なボトルネック奏法や19分間に及ぶジャムセッション「You Don’t Love Me」など、ジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィスを彷彿させるインプロビゼーションだろう。同時にデュアン・オールマンは、マイアミでデレク・アンド・ザ・ドミノスのアルバム『Layla』のセッションに参加し、エリック・クラプトンと共演した。衝撃的な歴史を作った瞬間だった。特に、タイトルソング「Layla」でのハイピッチのスライドギターは秀逸だった。彼が最期に残したのは、2分間のサザン・カントリーのララバイ「Little Martha」だった。彼の墓石には、同曲の楽譜が刻まれている。ロード上で早すぎる一生を終えたデュアン・オールマンだが、彼の音楽の中でロードは永遠に続く。 9位 ジョニ・ミッチェル ジョニ・ミッチェルは50年以上に渡り、ロック界最高のアコースティック・ギタリストとして君臨し続けてきた。彼女は独自のギターチューニングを使って、独特の表現方法を編み出した。「ギターでオーケストラを表現しようと思った」と彼女は、1999年にローリングストーン誌に語っている。「ユニークなプレイスタイルを身に付けたけれど、誰にも気づいてもらえなかった。デューク・エリントンのように弾いているのに、何でもかんでも“フォークギター”だと、ひとくくりにされるのは嫌だった」という。幼少期に患ったポリオの影響で左手の力が弱かった彼女は、50種類以上のチューニングパターンを使って克服した。「高音の3本の弦をホーン・セクションにして、低音側の3本にリズム・セクションを割り当ててプレイしている」。 彼女のギタープレイに畏敬の念を抱くミュージシャンも多い。「私はギターの神様なの?」とローリングストーン誌のインタビューで、彼女の方から尋ねた。「私はただのエセ神様よ。私にはギターの神様なんていなかった」と彼女は語った。彼女の最高傑作のひとつとして挙げられるのが、ジャコ・パストリアスがベースで参加した1976年のアルバム『Hejira』だろう。彼女の書くコードがどんどん複雑化していくため、バンドのメンバーも付いていくのに苦労した。結局『Hejira』のエレクトリック・リードギターの約半分を、彼女自身が弾き、その後のアルバム『Don Juan’s Reckless Daughter』と『Mingus』では、彼女がほとんどのギターパートを担当した。マーティン・スコセッシ監督の映画ドキュメンタリー映画『Rolling Thunder Revue』の中で彼女は、ロジャー・マッギンやボブ・ディランと「Coyote」を共演した。マッギンは彼女の弾くコードに耳を疑い、わざわざ彼女の手元を覗き込んで確認している。「彼女の使用する豊富なモーダル・チューニングは、僕にとって大きな衝撃だった」と、ソニック・ユースのリー・ラナルドは言う。「ジョニのやることは、とてもミステリアスだった」。 8位 B.B.キング B.B.キングは「ブルーズの特命全権大使」としてアメリカン・ミュージック界でとても愛される存在だった。一方で、彼の革命的なギターワークがどんなに素晴らしかったかは、忘れられがちだ。「B.B.が現れる前は、誰もがアコースティック・ギターの延長でエレクトリック・ギターを弾いていた」とバディ・ガイは証言する。キングは愛器のギブソン「ルシール」を、本物の女性のように泣かせた。1951年のブレイクスルーヒット「Three O’Clock Blues」の最初の音から、B.B.キングの革新的で優雅なスタイルが聴こえてくる。彼自身のアイドルだったT-ボーン・ウォーカーのベンディングやビブラートを、新たなテクニックへと進化させたキングのプレイスタイルは、当時の誰もが真似するようになった。「どのエレクトリック・ギタリストにも必ず、どこかにB.B.の影響が見られる」とガイは言う。「最初にエレクトリック・ギターの弦を強くスクイーズして弾いたのは、彼だ」。 ミシシッピ・デルタの綿花栽培のプランテーションで育ったキングは、いとこのブッカ・ホワイトからカントリー・ブルーズを学んだ。1948年にメンフィスへ移り住むと、ラジオ曲のDJをしながら、情熱的なゴスペルとジャズのテクニックを融合したエレクトリック・ブルーズの独自スタイルを確立していった。1965年のアルバム『Live at the Regal』では、史上最高級のギタープレイが聴ける。その後もキングは勢いを止めることなく、1980年後半も愛器ルシールと共に精力的にツアーを続けた。「ルシールが、ブルーズしかやりたがらないんだ」とキングはかつて語った。「ルシールは実在する。俺が弦を弾くと、彼女の言葉が聴こえてくる。もちろん、彼女の泣き声もね」。 7位 ナイル・ロジャース 「影響力のある」「大きな影響力を持つ」、その上に「ナイル・ロジャース」が来る。ポップミュージックの50年の歴史は、ロジャースのギターの上に成り立っていると言っても過言ではない。70年代にロジャースは、シックと共にノリの良い高音スタッカートのファンクを確立し「Le Freak」や「Good Times」といったディスコ・ヒットを生んだ。以来、彼らの音楽は世界的なポップミュージックの基準となる。1980年のダイアナ・ロスの名曲「I’m Coming Out」にフィーチャーされたロジャースのワープスピードのギターが、ビギー(ノトーリアス・B.I.G.)の「Mo Money Mo Problems」へ再録サンプリングされるなど、彼のギターは約20年が経っても錆びることなく、ラジオでヘビーローテーションされた。そして今もなお、パワーは衰えていない。 ロンドンでロキシー・ミュージックのライヴを観てインスパイアされたナイル・ロジャースは、ベーシストのバーナード・エドワーズと共にシックを結成した。「当初は超ヘヴィなロックンロールばかりプレイしていた。ジミ・ヘンドリックスやジミー・ペイジを目指していた」とロジャースは、1979年にローリングストーン誌のインタビューで語っている。ストラトキャスターから繰り出すロジャースの留まることを知らないダイナミックなサウンドは、ダイアナ・ロスの「Upside Down」、シスター・スレッジの「We Are Family」、デヴィッド・ボウイの「Let’s Dance」、デュラン・デュランの「Notorious」、ダフト・パンクの「Get Lucky」といったヒット曲に命を吹き込んだ。さらに彼のギターリフは、ヒップホップ・ブームの火付け役ともなった。シックの楽曲「Good Times」のギターリフがフィーチャーされたラップ曲「Rapper’s Delight」は、シュガーヒル・ギャングにとって初めてのヒット曲となった。彼のジャジーなコードもパワフルなリズムも、あらゆる方面にインパクトを与えている。特にザ・スミスへの影響力は大きく、ジョニー・マーは事あるごとにロジャースを自分のヒーローとして挙げている。さらにマーは、自分の息子に「ナイル」と名付けた。ナイル・ロジャースは決してスピードを緩めることのない真のイノベーターであり、彼のギターは新たな歴史を刻み続けている。 6位 シスター・ロゼッタ・サープ 性的に流動的だったとされる黒人女性のシスター・ロゼッタ・サープは、多くのタブーを破った上に、ゴスペル・ミュージックをメインストリームに押し上げた。ロックンロールが誕生する以前に「ギターヒーロー」というコンセプトを実質的に作り上げたのは、彼女だった。ボブ・ディランはサープについて「生来パワフルなギタリスト&シンガーの伝道者」と表現している。アーカンソー州生まれの彼女は、後に家族と共にシカゴへと移り住んだ。彼女の母親が弾くマンドリンの影響を受けたサープは、幼稚園に通う頃にはギターを持って弾いていたという。そして1930年代に初めてレコーディングを始める頃には、既にかなりの腕前だった。例えば1945年にリリースした楽曲「Strange Things Happening Every Day」では、彼女のピッキングとアルペジオが、軽快な曲調のブギウギと陽気な歌声にマッチしていた。またゴスペルの快活なトラディショナル曲「Up Above My Head」では、勢いのあるギターソロを披露している。1964年、フォーク、ブルーズ、ゴスペルを特集したテレビ番組の収録のため、サープはマンチェスター(イングランド)の鉄道駅で演奏した。サープの演奏を、エリック・クラプトン、キース・リチャーズ、ジェフ・ベックらがわざわざ見に出かけたという。霊歌「Didn’t It Rain」を軽快なバージョンで披露した彼女は、ゴスペルをルーツとする声量とギターに歌わせるような巧みな奏法が注目を浴びた。サープは2013年にこの世を去った後も高い評価を受け続け、ロックの殿堂のアーリー・インフルエンス部門を受賞した。授賞式には、彼女から影響を受けた新たな世代の代表として、ブリタニー・ハワードが登壇した。