「さくら前線」つかさ 雨の日も、風の日も手売りの日々… ファンとつかんだソールドアウトの奇跡【ソロインタビュー連載第2回】
異彩を放つ演歌歌謡グループが2025年の飛躍を目指している。ヴィジュアル演歌歌謡グループ「さくら前線」。11月10日をもって「最美桜前線」(もがみざくらぜんせん)から改名し、初シングル「雪桜」をリリース。見事、オリコン週間演歌・歌謡ランキングで1位を獲得した。現役ヴィジュアル系バンドマンとしての顔を併せ持つこうき、つかさ、せいじが、新たな名前とともに描く未来図とは?来年、さらなる大輪の桜を咲かせようと奮闘する3人の素顔に迫るソロインタビューを敢行。第2回はつかさが登場します。 ――11月10日にグループ名が「最美桜前線」から「さくら前線」へと改名されました。周囲の反応やご自身の印象はいかがですか。 つかさ「『さくら前線』のほうがすごく覚えやすいですし、認知していただきやすいという点で、すごく馴染んでいると感じています。以前だと、もみざくら?何とか前線?とかって言われてたんです。それが、最近は『さくら前線、オリコン演歌チャートで1位だったよね』など、すぐに名前を言っていただけるようになりました」 ――以前のグループ名に対する愛着もあったのではないでしょうか。 つかさ「できればそのままで続けたい気持ちもありました。ただ、『読めない』というのが一番致命的だったんです。このたび『雪桜』というシングルで初のCDリリースをするという節目もあり、みんなで話し合って改名を決めました」 ――改名に込められた思いをもう少し詳しくお聞かせください。 つかさ「いろいろ考えたのですが、桜はこのグループにとって切っても切れない存在なんです。桜をテーマにした曲も多いですし、前回のワンマンライブでアンコールの際に『春を待つ桜のように』を歌ったとき、会場のお客さん全員が桜の枝を振ってくださったんです。その光景がとても印象的で、『桜』という言葉をグループの名前に残したいと強く思いました」 ――名前には「前線」という言葉も含まれていますね。こちらにはどのような意味があるのでしょうか。 つかさ「『前線』には、全国を笑顔にするために南から北へと北上していくイメージが込められています。また、日本の象徴としての桜を掲げつつ、バンドでの海外経験も生かしてこれからは海外活動も視野に入れたいという思いもあります。『桜』という言葉には日本らしさが詰まっていますし、『前線』が持つ広がりのイメージと合わせて、全国、そして世界へと活動を広げていきたいという気持ちが込められています」 ――『雪桜』はつかささんが作られた曲だと伺っています。この曲はどのような内容なのでしょうか。 つかさ「どんな人の中にも、自分だけに秘めたる“花”があると思うんです。その“花”を咲かせるためにみんな懸命に夢を追いかけているというイメージを元に作りました。『雪桜』は、氷に閉じ込められた“花”がいずれ桜前線とともに咲き誇る、夢をつかみ取る、そんな姿を描いています。夢を追い続ければ、いつか自分らしく輝ける時が来る、そんなメッセージを込めた応援歌です」 ――応援歌に仕上げようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。 つかさ「正直なところ、最初のきっかけは衣装でした。『ピンク色の衣装ってこれまで着たことないよね』という話になり、桜をテーマにすることが決まりました。ただ、シングルのリリース時期が11月で、桜の季節にはまだ早い。そこで雪桜という言葉を思いつき、テーマとして取り入れました」 ――そこから楽曲のテーマが膨らんでいったのですね。 つかさ「イメージしたのは、雪に覆われて咲くに咲けない花です。それが、やがて日の光を浴びて雪が解けて花を咲かせるために頑張る。そういう応援の気持ちを込めました」 ――バンド活動と今回の『雪桜』のような歌謡曲の制作では、アプローチが異なると思いますが、その違いに伴う難しさや変化についてお聞かせいただけますか。 つかさ「最近わかったことなんですけど、僕は3歳の頃から演歌を聞いて歌って育ったんです。小学校卒業時には『演歌歌手になりたい』と書いていたくらいで、高校生になってからロックに目覚めたんですけど、作曲に関しては歌謡曲や演歌のほうが自然に書けるんです。ロックだと歌詞の言葉選びがとても大変で、それに比べると、僕は山形の田舎で育って演歌に親しんできたので、歌詞もメロディーもすっと出てきやすいです」 ――小学生の頃によく聴いていた歌手や影響を受けた方はいらっしゃいますか。 つかさ「父ちゃんが聞いてた細川たかしさんや吉幾三さんですね。千昌夫さんや森進一さんも家で流れていましたね」 ――周りに演歌を聴いている同年代の子どもたちはあまりいなかったのではないですか。 つかさ「僕の周りには一人もいませんでした(笑)。ただ、当時の僕はそこまで音楽や演歌に夢中というわけではなく、どちらかというとファミコンバカでした」 ――2024年も間もなく終わりますが、この1年を振り返って、つかささんの中で特に思い出深い出来事やエピソードはありますか。 つかさ「11月の『雪桜』発売に向けた2か月間は、毎日のように駆け回っていました。この間、メンバー3人の絆が今まで以上に深まりましたね。特に11月10日の浅草花劇場で行われたワンマンライブのチケットを手売りで販売したことは印象深いです」 ――チケットの手売りはどのような形で行ったのでしょうか。 つかさ「メンバーのこうきくんのアイデアで、新宿や原宿など合計8か所で手売り販売をしました。雨が降ったり風が強い日もありましたが、そんな中でもファンの方や初めてお会いする方々が購入してくださって…。高校生がライブのチケットを売るような感覚で、なんだか原点に戻ったような気持ちでした。ハングリー精神が芽生えて、やってよかったという良い経験になりました。おかげさまでソールドアウトすることができました」 ――ファンの後押しがあってこそのソールドアウトだったということですね。 つかさ「手売り販売がファンの方と僕らをより一層深い関係にしてくれた時間になりました。私服でナチュラルメイクして、大声で通行人の方々に叫ぶんです。当然、大体の方は素通りですよ。それでも、ファンの方が来てくださって、近くで見守ってくれて。時には一緒に声を出して叫んでくれて。凄く泣きそうな感じでした…。 さらに『雪桜』のキャンペーンもやらせていただいて、その甲斐あってみんなで1位をつかむことができました。デイリーランキングで2位になったという速報をスタッフから聞いて、それを発表したときにお客さんが泣いてしまったり…。すごいドラマを感じる瞬間でした」 ――グループの歴史でも大きな出来事だったように感じますね。 つかさ「この1年の活動の中でも特に印象深い出来事でした。今後の活動の励みにもなっています」 ――紅白歌合戦出場を目標に掲げられていると伺いましたが、その理由についてお聞かせください。 つかさ「やはり家族で小さい頃からテレビで紅白を見てきた思い出が大きいです。あそこに立つ姿を見せることが親孝行であり、恩返しになると感じて、ロックも演歌もやってきました。昨年、父が亡くなったのですが、父は僕に演歌の魅力を教えてくれた人です。天国でもきっと見守ってくれていると思います。だからこそ、自分の夢を叶え続けていきたいです。そして、実家にいる母に紅白で歌っている姿を見せてあげたいです」 ――2025年の抱負やグループとしてのテーマを教えてください。 つかさ「今年の下半期から、さくら前線としての存在感を発揮できたと感じています。2025年はさらに積極的に攻めて、演歌・歌謡界に旋風を巻き起こしたいです。個人的にはドラムを担当しているTHE MICRO HEAD 4N'Sも年明けに新曲のパワープレイが始まるので皆さんに色んな所で聞いてもらえたら嬉しいですね」