八月納涼歌舞伎『髪結新三』。中村勘九郎が語る、念願の初役──撮り下ろしスチールも公開
夏の恒例、歌舞伎座の「八月納涼歌舞伎」第二部で上演される『梅雨小袖昔八丈 髪結新三』で、主人公の新三に初めてのぞむ中村勘九郎。祖父の十七世中村勘三郎、父の十八世中村勘三郎が演じ、幼い頃から憧れていたという役柄への、新たな挑戦だ。7月23日に実施された取材会では、「新三ができるような役者になれて嬉しく思う」と明かし、舞台への意気込みを熱っぽく語った。 【全ての写真】髪結新三を演じる中村勘九郎
父の新三をもっと見たかった
「『髪結新三』を初役でやらせていただく。これはもう、念願でございました」と語る勘九郎。役柄への熱い思いが、とめどなくあふれてくる。 「祖父の勘三郎、父・勘三郎共に大事にしていた演目で、まあカッコいい。色っぽい。子供心を鷲掴みにされた役です。昭和61[1986]年でしたから僕は5歳かそこらでしたが、祖父の新三の舞台に丁稚の役で出ているんです。まだ勘太郎になる前、本名(波野雅行)で出ていた時ですが、もう祖父の新三がカッコよくて。弟(中村七之助)と一緒に車に乗ると、新三の永代橋の台詞を、まだ舌が回らないのに喋っていた記憶があります」 河竹黙阿弥の代表作のひとつ。髪結の新三は、材木問屋白子屋の一人娘お熊をかどわかし、身代金をせしめようとする悪党だが、その粋でいなせな風情がなんとも抗い難い魅力を放つ。 「祖父が亡くなった後の、父の新三もカッコいい。僕も早く勝(勝奴)で出たいと思っていましたが、平成中村座(平成24[2012]年5月)で、初めて父の新三の近くで勝をやらせていただき、その呼吸、間、息遣い、そして空気感というものを体験できた。いまとなっては──あれが最初で最後になると私も思っていませんでしたが、財産になっております」 父の勘三郎が57歳の若さで亡くなったのは、その年の12月だ。 「父の新三をもっと見たかったですし、しっかり習いたかったという思いはありますが、父をはじめとする先輩方が作った納涼歌舞伎で新三ができる幸せをかみしめながら、プレッシャーの中で過ごしています」 この日、取材会の前には新三のスチール写真の撮影も行われた。 「憧れている役の“なり”を身にまとわせてもらうと、『始まるな』『しっかりエンジンをかけなきゃ』という思いに。江戸の庶民のリアルを表現する、しかし現代劇になってはいけない、という父の教え──生世話(きぜわ)というものを、いまの世代に伝えるためにもしっかりとやりたいと思います」 世話物の中でもとくに、江戸の人々やその暮らしをよりリアルに描き出す生世話。同時に、群像劇としての魅力も指摘する。 「新三ひとりでは成り立たない世界観がある。父の新三でずっと勝をやっていたあーちゃんにいに(松本幸四郎)が弥太五郎源七で、大家さん(家主長兵衛)で坂東彌十郎さんも出られる。そして、手代忠七で弟が出るのも感慨深い。呂律が回らない子どもの頃に台詞を言い合っていた“永代橋”をふたりでできるのは、“エモい”なと(笑)。さらに中村扇雀さんは後家お常で締めてくださる。皆でこの江戸の町、粋というものを表現できたらいいなと思っています」