球界に“激震”…ドラ1指名も入団拒否した選手(3)複雑だった”ジャイアンツ入り”
プロ野球ドラフト会議で指名を受けた選手にとって、ドラフト1位指名はもっとも名誉な評価である。しかし、選手にもさまざまな事情や考えがあり、入団に至らなかったケースがある。そこで今回は、ドラフト1位指名を受けたものの、入団を拒否した歴代選手を紹介する。
内海哲也
出身:京都府 投打:左投左打 身長/体重:186cm/92kg 生年月日:1982年4月29日 ドラフト:2003年ドラフト自由枠 長きにわたって読売ジャイアンツを支え、プロ通算135勝を挙げた内海哲也も、ドラフト1位での入団を断った選手である。 内海は敦賀気比高校のエースとして活躍し、世代屈指のサウスポーとして大きな注目を集めた。 また、祖父が元巨人の選手だった背景から、巨人への想いが強くなった内海。その想いとは裏腹に、オリックス・バファローズが内海をドラフト1位指名に踏み切った。 故・仰木彬の存在によって気持ちが揺れ動いたが、やはり入団を拒否。東京ガスでのプレーを経て、2003年ドラフト自由獲得枠で憧れの巨人入りを果たした。 入団後2年間は苦しんだが、2006年に初の2桁勝利を達成。2011年、12年は防御率1点台の好成績をマークする活躍を見せるなど、長きにわたり左腕エースとして巨人投手陣を牽引した。 しかし、2015年以降はけがもあり登板機会が減少。FA人的補償での移籍という出来事を経験した内海は、埼玉西武ライオンズで現役生活に別れを告げた。
ベースボールチャンネル編集部