私なりに車イスの誤解解きたい 前輪で絵を描く「ヤノガハク」の思い
6歳の誕生日に交通事故で下半身がマヒに
車イスの誤解を解きたい 前輪使って絵を描く「ヤノガハク」の思い THEPAGE大阪
私は車いすに乗っているだけ、同じ人間ですから──。6歳の時、交通事故で下半身がマヒして以来、車イス生活を送っている大阪府岸和田市の矢野円香さん(26)が「20年の節目」に大きなチャレンジに取り組んでいる。それは自らを「ヤノガハク」と名乗り、車イスの前輪にハケを取り付け、地面に広げた紙の上でウィリーやターンを繰り返しながら絵を描く「前輪お絵かき」だ。まだ初めて1年だが、応募した「東京デザインウィーク」の100人展の1人に選ばれるなど活躍ぶり。「絵をみてもらい、多くの人に健常者と障害者との間にある誤解を解いていきたい」と意気込みを見せている。
車イスは「筋斗雲」ウィリー喜びすぎて頭打ったりも
矢野さんは1995年4月28日、6歳の誕生日に地元で車にひかれる交通事故に遭った。「ぶつかって飛ばされて、体を踏まれて腎臓が破裂。尿管が損傷して下半身がマヒになりました」 以来、車イス生活を余儀なくされたが「悪気もないし、追求しても仕方ないというか、そうならざる得ない。乗らなくちゃいけない選ばれしものになった」と考え、当時テレビで放送されていたアニメ「ドラゴンボール」の主人公らが乗った架空の乗り物と同じ「筋斗雲」と名付けた。「『よいこ』しか乗れないアノ乗り物ですから」と、当時を笑いながら振り返る。 そんな「筋斗雲」を楽しく乗りこなそうと、矢野さんは日々努めた。それは「車イスでいちばんになろう」「パラリンピックに出て金メダルを獲る」という強い願望が芽生えたからだ。「小学3年生の時、段差をあがるのに『ウィリー』を覚えて。その時あまりにも喜びすぎて、コケて思い切り頭を打って、母親が学校へ迎えにきたこともありました。しかも爆笑してましたから母はハートが強い(苦笑)」
車イスに対する誤解をなくしたい
日々の生活で乗り方を鍛錬。高校2年の時にはウィリーしたまま制止したり、片手ウィリーなども覚えていった。しかし、ここでパラリンピック出場はあきらめざるを得なかった。それは事故で腎臓などにケガを負っていることから、競技を行う体力は限られていた。 「いつもなにも言わずに見守ってくれているハートの強い母親から『それだけはやめて』と涙目で言われまして」。さすがに最愛の母親の言葉は重かった。しかし、ここで矢野さんはめげない、あきらめない。「そしたらまた別の道を探せばええやん」とすぐに新たな道を模索した。 そんな思いの中、ひとつの思いが新たに芽生えた。それは生活の中で「車イスで大変ですよね」と言われることへの違和感からだった。「私は車イスだからとカテゴリわけされている気がして。車イスの人はこうしましょ、健常者はこうしましょがないのに、車イス対応をワンパターンにされるのは嫌で」 考えたあげくに思いついたのは「車イスに対する誤解」をなくすためになにか発信することだった。大阪芸術大学へ進学し、アナウンサーの教授が担当する「話し方研究」などを受講。情報発信の術を学びながら、楽しい学生生活を送ることができたという。そして、卒業と同時に大阪市内のウェブ関係の企業に就職し、リスティング広告などを担当。一人暮らしをしながら社会人生活を送っていた。 社会人生活3年目の昨年。ふと「今年で車イス生活20年か」と考えた時、事故後から持っていた「車イスでいちばんになる」という目標を強く思うようになった。 伝える仕事ではあるが、自分の思うことを伝えることはできない。ウェブなど個人で発信する手段はあるが影響力は小さい。常に考えている「車イス伝える手段はなにかないか」「健常者と障害者の間にある誤解が解」と思った時、自分にできる発信手段を思いついた。それが車イスを使った「前輪お絵かき」だった。